Quantcast
Channel: くぐる鳥居は鬼ばかり
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2365

桂渕神社 (外ヶ浜町蟹田)

$
0
0
イメージ 17
小国村は上小国・中小国・下小国の3か村に分かれています。貞享4年検地水帳によりますと、稲荷社地1反余、観音堂地6畝余、稲荷社地7畝余が見えます。安政2年神社書上帳によりますと、上小国には稲荷宮(末社山神宮)、中小国に賀茂明神宮(末社山神宮)と惣染堂、下小国に住吉宮(末社山神宮)と桂淵権現があります。桂淵権現には氏子がないため、周辺地域の7カ村に鎮座する上小国小国神社中小国加茂神社下小国住吉神社山本稲荷神社南澤神明宮大平八幡宮外黒山稲荷神社、の役員総代が輪番制で管理運営をしてご奉仕しているそうです。
イメージ 18
桂淵(渕とも書く)神社は、桂淵龍神宮とも言われ、外ヶ浜町蟹田中師桂沢、蟹田川のすぐ横に鎮座している神社。創建不詳。蟹田川の氾濫により被害が甚大であったため、川の淵に神社を建てて水神様をお祀りして鎮めたのが始まりとされます。御祭神は竜神。例祭日は4月19日。地元では御祭神を十和田様とも称しており、いずれにせよ水神信仰の社であることがわかります。また、上記にもあるように古くは桂淵権現と称していた修験系の社です。
イメージ 19
次のような伝説があります。神社近くの桂淵という沼がありますが、昔は周囲600mもある大きな沼で、沼の中には島があり、1本のカツラの大木があったといいます。この大木は沼の主の化身と言われており、巨木信仰の対象でした。ある日のこと、藩の御手船建造の御用材として、4人の山子(木こり)がこの木を切ったところ、幹から血を流して大蛇の姿に変わり、沼の底深くに沈んでしまいました。たちまち沼の水は波立ち溢れ、血の色に染まりました。そして大蛇は2度と浮き上がらなかったそうです。この木を切った山子たちは気が動転して急いで逃げ帰りましたが、認知症状態となった後に7日間で次々と病死。そこで村人たちが大蛇の祟りを恐れ、お堂を建てて祀ったのが桂淵神社といいます。毎年旧暦4月19日に、この沼で村人はその年の稲作の豊凶を占うそう。
イメージ 20
『水神竜神 十和田信仰』(小館衷三)には写真付(当時は鳥居が3基あったようです)で紹介されており、『竜神を祀り十和田様といってやはり旧四月十九日が祭日で社前の大沼にサンゴを打って、身の吉凶、世の中(稲作)を見る参詣人で大にぎわいになる。堂内には竜神の絵馬がたくさん奉納されている』と紹介されています。
イメージ 21
上の写真のように神社のすぐ近くには大きな沼(桂淵)がありますが、周囲の草木がひどくてよく見えませんでした。
イメージ 22
沼の畔に鳥居も見えますが、草を刈ってくれないと行けそうにありませんでした。
イメージ 23
イメージ 24
桂渕神社に戻りまして、社殿内です。
イメージ 25
神額「桂渕大神」。
イメージ 26
龍の絵馬など。
イメージ 27
イメージ 28
出雲構えの狛犬一対。
イメージ 29
イメージ 30
なかなかなお尻の角度。
イメージ 1
イメージ 2
一瞬シャチホコかと思いました。
イメージ 3
イメージ 4
奉納者の名前や吽型の旧4月19日は読み取れますが、阿型の紀年銘の部分は壊れていました。
イメージ 5
台座には「新築記念昭和63年9月19日」とありますが、石の状態から見てもこれは台座だけの紀年銘かと思われます。
イメージ 6
社殿の横に山道がありました。行ってないのでどこへ続く道かは不明。
イメージ 7
桂渕神社本殿。覆屋内にあります。
イメージ 8
本殿の蟇股・木鼻。
イメージ 9
イメージ 10
イメージ 11
末社。
イメージ 12
右は山の神。
イメージ 13
巨石が祀られています。
イメージ 14
その横の石碑には「山神大神大山祇之尊、昭和42年9月2日、砂川沢上流より下山 建立者佐々木永二郎」とありました。
イメージ 16
山の神の横の小祠は龍神の祠です。
イメージ 15
イメージ 2
イメージ 3

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2365

Trending Articles