鎮守の杜って感じがしますね。
三戸郡南部町高瀬。上名久井の市街地西に鎮座。
手水舎。
「奉献手水舎」碑(昭和38年8月吉日)。
手水舎の裏に仏像が2体。地蔵様っぽくないですね。手水舎にいることに関係するのかな。鬼子母神のような雰囲気もあります。状態はあまり良くないので何かはわかりませんが。
記念碑…『昭和43年5月16日午前9時49分突如地鳴りとともに襲来した十勝沖地震震度五の震動は左右上下に激烈を極め諏訪神社鳥居石段も崩れ落ちこれを補修す。昭和43年8月27日』
不明の石。
金刀比羅神社(明治14年10月11日)。
狛犬一対(昭和15年)。
頑張れば読み取れそうな碑。頑張りません。
出羽三山(天保14年3月3日)。
石灯籠一対(昭和15年)。
参道を振り返ると…
真っ直ぐ道が伸びていますね。
こちらも上記記念碑と同じく十勝沖地震時のもの。被害を受けた第二・第三の鳥居と石段復旧記念。紀年銘は昭和50年8月27日
街路灯設置記念碑。
ようやく石段前(笑)
石灯籠一対(明治24年7月27日)。
さて、ウサギ跳びで向かいます。
石段上に巨木。
石段上の鳥居の脇のモミの木(トピコの木)は町指定文化財(天然記念物)。江戸時代初期に神楽を奉納した記念として植栽されたと伝えます。樹高約32.8m、胸高幹周囲約5.18m、推定樹齢300年以上。なお、地元の長老達の話によりますと、このモミの木のことを「トピコの木」と呼んでおり、その由来は定かではありませんが、明治年代の戦雲厳しい折に、神社のモミの木に一羽のトンビがとまり、「ピーショロ」と鳴き続け、村人達は不思議に思い何か変事が起こるのではないかと噂していた折、戦勝の知らせがあり、あれは神様の使いのトンビが戦勝を教えてくださったのだろうということで、モミの木を「トピコの木」と呼ぶようになったという伝説があります。
トピコの木に立て掛けてある「金刀比羅神社」碑。紀年銘は見えにくかったです。明治期です。
町指定文化財ではありませんがこの他にも巨木があります。
長くなったので…『上名久井諏訪神社~其之弐(南部町)』へ続く…