あの森の頂上に鎮座します。
一之鳥居から歩いて、最初の長い石段を上り終えると…
長い石段が待ってます…。
その長い石段を上り終えると…
石段があります。が、社殿は目の前です。
社殿前にはかつての御神木と思しき巨木が倒れていました。
鎮座地は秋田県能代市二ツ井町種熊野堂前。種村は藩政初期の村落編成で梅内村の枝郷扱いとなり、正保国絵図には郷形は記載されても石高は明記されていません。17世紀後半に新田村として独立。寺院は寛永2年旧主秋田李継を開基として創立された曹洞宗熊野山福寿院(鶴形村海蔵寺末寺)があります。また、村鎮守の作兵衛建立という熊野堂、その他稲荷・加代・今木の各小祠及び修験に熊野山千光院があります。当村は檜山城主安東氏の一族で小沼城主にもなった秋田作兵衛李継の先祖墳墓の地であり、福寿院や熊野神社はその一族の勧請・開基によるそうです。秋田作兵衛は檜山作兵衛とも称し、文禄元年~慶長6年に702石の知行地を与えられ、都合552石の扶持を認められた秋田家鉄砲衆25人を預かる人物。
御祭神は健速素盞嗚尊、受持神、天手力雄命。
秋田県神社庁HPによりますと『秋田県太良の臣秋田作兵衛建立、其節千手院と申す。山伏勧請仕候と申し伝え、寛永2年乙丑一村にて建立明治6年村社に列す。明治44年9月15日字樋ノ口同稲荷神社、字加代神同加代神社、字萩ノ台同生駒社、字熊野堂前同今木社、字外面同稲荷神社を合併す。又一説によれば、天正年間内の建設であって、社殿は一本木で造作されており、雑木であるが何の木かはわからない。熊野大権現の額あり、大倉門戸という書家の筆になり後に成田吉右衛門が是に金箔をうめたという。』とあります。
本殿。
社殿内。
「熊野神社」(昭和45年4月・秋田県知事小畑勇二郎)。
熊の絵です。萬延元年(1860)4月吉日奉納。
その他絵馬等。
拝殿前の狛犬一対(昭和17年5月15日)。
拝殿前の石灯篭一対。5月6日は読み取れます。
本殿裏手の石祠。愛宕神社(昭和54年5月吉日棟札あり)と山神社(棟札あり)です。
石段の途中にあった石祠2基。
1つは稲荷宮なのかな。棟札は紀年銘(昭和54年5月吉日)しか読み取れず。
もう1つはわからず。
石段を下り終え、こちらの建物は…
石塔と石祠と石があります。
石祠は読み取れず。
石塔は…よく見えないけど「出雲社」と彫られているように見えます。自信ありませんが。
こちらの建物には祈祀猿田彦大神七庚申守護講柱とありました。
何やら色々ありますね。
馬頭観世音。
太平山。
三吉神社。
庚申塔。状態はいまいち。
地蔵様。
笠付の庚申塔(正徳6年7月3日)。大変古いものですね。上部にキリークの梵字が見られ、梵字の下には「庚申尊天二世二楽所」かな。
石祠の中に腕が破損している神像。何かは判断しかねますが、十二神将にいそうな雰囲気。
ちなみに秋田県神社庁によりますと、境内社として八幡社と唐松神社とあり、前述の石祠も含め、いずれかに該当するものと思われます。