かつての八幡館村は羽州街道から分かれて黒石を経て浪岡村に至る東根小道(乳井通)沿いに発達しました。
善大夫抱えの観音堂と八幡社はその歴史を辿ることができますが、今回紹介する稲荷神社は由緒不明。明治3年3月の神仏混淆神社調査に長利帯刀社司は「八幡宮と末社神明宮は残し、観音菩薩堂は明神宮に改称し、末社も祇園宮(牛頭天王堂)と稲荷宮として残す」と報告されていますが、当稲荷神社との関連はわかりませんでした。
場所は観世音菩薩の近くですが、とてもわかりにくい場所に鎮座しております。
鳥居も無く、社殿も一見すると普通の小屋に見えるので中々気づきませんね。
社殿内。
鏡張りになっており、ちょっと見辛いかも知れませんが、大変綺麗に祀られており立派な稲荷様でした。