霊雲山称明院蟠竜寺。
江戸最初山手七福神弁財天。
蟠竜寺と弁天様…『この寺の創建は宝永6年(1709)。浄土律復興のため、増上寺の高僧・霊雲上人が行人坂下の称明院をここ移し、蟠龍寺と改名された。本尊阿弥陀如来像(都文化財)・善光寺如来像が安置されている。本堂横の祠の中に山手七福神の石仏の弁財天があり、木造の弁財天は、お堂にまつってある。池の奥に「おしろい地蔵」の異名をもつ地蔵がひっそりと立つ。』
参道。
蟠竜寺…『目黒行人坂付近にあった称明院〔慶安元年(1648)開創〕を、増上寺の霊雲上人が浄土宗の戒律を復興するため現在地に移し、宝永6年(1709)「霊雲山称明院蟠龍寺」と改名再建されました。次いで、寛政6年(1794)律院となりましたが、「不許辛肉酒入山門」の結界石がその名残りを今にとどめています。本堂には本尊として「木造阿弥陀如来像」(都指定文化財)があり、天明年間(1781-1788)に東都三番札所となり善光寺式阿弥陀三尊像も祀られています。「江戸名所図会」に載った境内は、当時の風趣が偲ばれ、元禄11年(1698)建立の地蔵尊があります。また、山手七福神の一つであり、江戸裏鬼門の鎮守として岩窟内に石像弁財天、弁天堂内に木造弁財天(八臂の天女像)が安置されています。さらに境内には、藍蝋の歌碑や下目黒尋常小学校創立之碑などもあります。平成7年3月目黒区教育委員会』
本堂。
緑豊かな境内。
池があります。
弁財天堂。
木造弁財天。
岩屋弁財天。
一雨堂。
一雨堂前の蛙。
當寺中興開山賜紫龍譽上人一雨霊雲大和尚。
その他水子地蔵尊などなど。
おもしろい地蔵!!
…かと思ったらおしろい地蔵でした。
おしろい地蔵…『このお地蔵さまは関東大震災で被災をしたために、浅草より当寺に移って来られたもので、お顔がかけている珍しいお地蔵さまです。言い伝えによると、その昔、顔に痘痕(あばた)のある娘さんが、そのために人並みの結婚ができず悩んでおりましたが、このお地蔵さまに願掛けをしたところ痘痕が消え、幸せな生涯を送ることができたという故事にならい、若い女性がお参りに来られるようになったと言われております。江戸時代には、歌舞伎役者がおしろいに含まれる鉛の害に悩み、おしろいをお地蔵さまのお顔につけ、願を掛けたと言われており、現在でもこのようにしてお参りをされる方を時折お見かけします。いつの世も美しくなりたいという願いは変わらないようですが、一番大切なことは、心を常に美しく養い保つことで、美しい心が美人をつくるということ、つまり心美人であるということではないでしょうか。』…その通り!!