日本中央の碑発見地 (東北町)
何も知らずにこの看板に出くわすと「はっ!?」ってなりますね。県道8号線、千曳駅の南東。ここから階段を下って行くようです。案内板がありました。日本中央の碑発見地発見地…『本蹟は、11世紀から12世紀にかけて和泉式部、懐円、西行、寂蓮、慈円、阿仏尼、源頼朝など多くの人々に好まれた歌枕のひとつ、「つぼのいしぶみ」ではないかと話題を呼んだ、「日本中央の碑」の発見地です。12世紀末、藤原顕昭の「袖中抄」(注1...
View Article日本中央の碑歴史公園 (東北町)
日本中央の碑歴史公園。無料でございます。古くは平安時代末期の藤原顕昭という歌人が『袖中抄』にて、陸奥の奥のつぼのいしぶみは征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際に、弓弭で石面に日本の中央と書いた石文であり、千島列島までを日本とするならばここが日本の中央といえるといった旨の文を残しています。明治9年(1876)の明治天皇東北巡幸の際には宮内庁が青森県に依頼して千曳神社の下を発掘調査させており、木戸孝充(...
View Article三内稲荷神社 (青森市)
社号標裏面碑文…『昭和49年10月24日旧9月10日。国鉄職員32ヶ年勤続記念。青森市議会議員、日本赤十字社金色有功章受章、国鉄功績章受章。佐藤俊勝50才建立。(住所省略)』。平成元年記念事業之塔と三内稲荷神社の杜標柱(青指文第15号天然記念物・昭和52年7月1日建設)。三内稲荷神社の杜…『三内稲荷神社は五穀豊穣のため建立されたもので、建立年月日は不詳であるが、延宝元年(西暦1673年)に社殿を再建...
View Article浄土宗 蟠竜寺 (東京都目黒区)
霊雲山称明院蟠竜寺。江戸最初山手七福神弁財天。蟠竜寺と弁天様…『この寺の創建は宝永6年(1709)。浄土律復興のため、増上寺の高僧・霊雲上人が行人坂下の称明院をここ移し、蟠龍寺と改名された。本尊阿弥陀如来像(都文化財)・善光寺如来像が安置されている。本堂横の祠の中に山手七福神の石仏の弁財天があり、木造の弁財天は、お堂にまつってある。池の奥に「おしろい地蔵」の異名をもつ地蔵がひっそりと立つ。』参道。蟠...
View Article荒川八幡宮 (青森市金浜)
御祭神は譽田別尊。草創年不詳。貞享4年検地水帳によりますと荒川村には宗全寺屋敷地、稲荷社地、観音堂地が見えます。古くは白旗八幡宮で、安政2年神社書上帳によりますと荒川村に白旗八幡宮がみえます。同神社は坂上田村麻呂の創建とも伝えます。寛永年間(1624-1642)までは荒川村にあり、一時他村へ移されるも貞享年間(1684-1688)に再び当村へ遷座したと伝え、荒川・八ツ役・上野・金浜四ケ村の鎮守です。...
View Article稲荷神社 (十和田市大沢田)
十和田市大沢田早坂にあった稲荷神社です。鳥居をくぐって直角に曲がると社殿正面。由緒等は不明。よく見えませんが、社殿内の木札らしきものに昭和22年6月22日の文字があります。拝殿の軒下にある凱旋記念の額。日清戦争及び日露戦争に参加した3人の名前がありました。こちらは同地区、少し離れた場所にあった馬頭観音(蒼前様)。鳥居と鞘堂。本殿。ブログ村ランキング参加中
View Article相染神社 (秋田県大館市釈迦内)
大館市釈迦内相染台に鎮座。所謂蒼前様。小さな堂内の上部に、絵馬などと共に祀られていました。由緒はわかりませんが、住所地が相染台であり、古い文献にも相善社などとして書かれているようなので、結構な歴史を持つ神社であると考えられます。ブログ村ランキング参加中
View Article七百熊野大権現神社 (六戸町)
上北郡六戸町犬落瀬七百に鎮座。七百集落の産土様である七百馬頭観音堂の西方、國一蒼前神社付近の宅地内に鎮座。境内の木々は伐採され、その木で社殿修復をしてきました。2間4方の切妻平入屋根で、中には内御堂が納められ、御神鏡のみが安置されています。昭和32年12月13日社殿新築。明治22年頃に七百村下田一族の総本家下田久助が紀伊国熊野大神宮三山に参詣し、本宮別当に奉願懇請して分神の書きつけを頂き、現在の場所...
View Article岡沼蒼前神社 (六戸町)
六戸町犬落瀬。犬落瀬という地名が珍しいですね。曹洞宗若宮山光昌寺の開基が猪を狩ろうと追いかけた川原「猪追瀬」から名付けられたという説と、長慶天皇が六戸郷の里に入った際、1匹の白い犬が相坂川(六戸川)で溺死し、天皇がこれを哀れみ「犬落瀬の里」と命名したという説があるそうです。創建・由緒は不詳。っていうか史料に乏しく調べていません。七戸もそうですがこの方面には蒼前神社がたくさんあります。六戸地方は木崎野...
View Article八重田稲荷神社 (青森市)
社号標(昭和11年旧8月10日)。鳥居神額(大正4年8月10日)。微妙に曲がっている参道が気になります。宝永2年(1705)に弘前藩斎藤武兵衛(庄屋。斉藤左馬之助の孫)が新田開発のため勧請。 以後八重田村中にて再建。 村の東端を流れる掘替川(掘川)は、 功績を偲んで現在も武兵衛川と呼ばれています。 城州稲荷本宮 (現在の伏見稲荷大社) から、 奥州津軽外ケ浜田舎郡横内組八重田村中村四五衛門宛の...
View Article天空橋 ・ 稲荷橋 (羽田空港駅)
天空橋駅前にある人道橋。天空橋…『平成5年(1993)、東京国際空港の沖合展開によって、京浜急行空港線が延伸されました。それに伴い、海老取川の対岸に空港線と東京モノレールが接続する羽田駅が開設しました。海老取川の西側(現在地)には昭和31年(1956)開設以来、多くの人々に利用されていた羽田空港駅がありました。しかし、羽田駅の開設によって廃止となり、川の東側へ移った駅への通路として、海老取川に人道橋...
View Article藤島神社 (外ヶ浜町三厩藤嶋)
旧三厩村文化財指定「藤の木」一株の標柱。横には菅江真澄の句があります…「春は咲く花の姿を寄る波に見せてぞかかる浦の藤島」参道途中に地蔵菩薩の堂宇。堂内。地蔵菩薩。藤の木前の赤い鳥居と木製の鳥居…かと思ったら鳥居ではなく支柱でした!何かもう…凄いことになっています。藤の花なし…季節外れですいません。藤嶋「藤の木」の由来…『享和年代(平成25年より210年前)愍栄上人が来た時、上人は馬頭観音菩薩を一体彫...
View Article山谷観音 (岩手県遠野市)
岩手県遠野市小友町。遠野七観音(山谷観音・松崎観音・平倉観音・鞍迫観音・宮守観音・山崎観音・笹谷観音)の第一番札所。十一面観音像を安置。入口付近に石塔がいっぱい。馬頭観世音や金毘羅大権現等の石塔。駐車場に車を置いて歩いて行きます。「おく山や はちすか沢の観世音 仏の誓い...
View Article広瀬神社 (金比羅大権現 / つがる市木造館岡)
元禄10年(1697)津軽4代藩主信政が勧請した津軽四社。祈雨祈晴・五穀豊穣・領内安全の祈願所。藩中四社・郡内四社などとも呼ばれています。その四社とは広瀬大明神・龍田大明神・加茂大明神・貴船大明神のこと。吉川惟足から吉川神道の奥義を授けられ、神道に精通している信政公。憶測になりますが、津軽四社の位置関係はどことなく奈良の廣瀬大社(東)と龍田大社(西)、京都の賀茂神社(南)と貴船神社(北)を模したよう...
View Article郡内四社 ・ 津軽四社 ・ 藩中四社 (青森県)
元禄10年(1697)津軽4代藩主信政公が勧請した津軽四社(郡内四社・藩中四社)の紹介です。祈雨祈晴・五穀豊穣・領内安全の祈願所。藩主の崇敬が非常に厚く、神事は厳かに行われ、藩内社家頭小野若狭(八幡宮宮司)が藩主の命を奉じ、藩主又は家老に随伴し、途中行列美々しく、精進潔斎した後祈願したと記録に残ります。憶測になりますが、津軽四社の位置関係はどことなく奈良の廣瀬大社(東)と龍田大社(西)、京都の賀茂神...
View Article濱町神明宮 (青森市本町)
『御祭神天照大神。例祭日7月16日(前夜祭7月15日)。由緒沿革…草創年不詳。寛永3年(1626年)、伊勢三日市七太夫と申す人が当地へ下ったとき、伊勢太新宮の御神璽と御榊を御下しになり、浦町村の勘解由という者に預け、それを浦町村元伊勢に奉祀。寛永20年(1643年)、津軽藩二代藩主信牧公の時青森繁栄のため、開港奉行森山内蔵之助藩主の許可を得て、浦町村元伊勢より柳町へ遷宮。2度の遷宮の後昭和22年、青...
View Article水神社 (秋田県大館市)
長木川南に鎮座。長木川は大館市を西流する川で、炭塚森・東股山に源を発した大川目沢と支根刈沢が合流し、鯰沢と合して長木川となります。更に深沢川・小雪沢川・大茂内沢などを合わせて大館市を貫流し下内川に合流。川名は天然の秋田スギに由来。唐破風懸魚の竜。扁額の紀年銘は昭和61年7月1日。御祭神は水波能売命。由緒不明。ブログ村ランキング参加中
View Article伏見仲町稲荷神社 (東京都品川区)
品川区立北浜川児童遊園内の小高い場所に鎮座しております(むしろ境内に公園があると言うべきかも)。旧松平土佐守下屋敷の海岸寄りの地。かつては北浜川の鎮守諏訪神社(寛永8年以前の創建)が鎮座していたそうですが、諏訪神社は南浜川の鎮守天祖神社に合祀されて天祖諏訪神社(濱川総鎮守)となっています。参道右側には社務所兼北浜川仲町会館。御祭神は宇迦之御魂神。狐様一対。狐様の後ろの建物(社殿横)は神輿庫。手水舎(...
View Article野辺地八幡宮 (野辺地町)
野辺地の総鎮守。参道。参道の石燈籠一対(平成6年9月15日・還暦報賽・第13代宮司林全造)。見応えのある石燈籠でした。参道の狛犬一対(昭和12年9月15日)。更に参道を進みまして…鳥居。社務所。野辺地八幡宮です。広い境内ですね。石燈籠一対(嘉永5年)。紀年銘の他、「奥御國産御會所」、「大坂御仕送御用所」、「施主 御用達 野村治六郎 當町惣商人中 運送人...
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