浪館字近野。現在の地図では安田近野ですが、浪館近野とのほぼ境に鎮座。
かつての波館村で、村名は戦国期にあった屋敷形の城館に由来。御祭神は倉稲魂命。例祭日は7月10日。
草創年月不詳。貞享4年検地水帳によりますと兵庫太夫抱えの稲荷宮が見えます。また、弘藩明治一統誌によりますと、天明元年(1781)に浪館村堀仁右衛門が村中の五穀成就を祈り勧請(再建)。その後村中にて産土神として祭祀。明治9年12月村社。
社殿。
蟇股・木鼻。
本殿。
境内には立派な御神木が多いです。
大杉は樹齢500年以上。
意図的に伐採されたのか何らかの被害によるものかは不明ですが、このような状態の御神木もありました。
手水舎(昭和47年旧9月10日)。
末社。
こちらも末社。
権現様(昭和57年12月25日奉納)のようです。権現祭は4月吉日。
馬頭観音堂。
立派です。
狐一対(昭和42年旧6月10日)。
石灯籠一対。
狛犬二対。
昭和3年4月10日。
大正3年旧9月10日。日獨戦勝紀念。
鳥居と石塔2基。
右は猿田彦大神。隣の石は読み取れませんが、恐らく庚申塔の類。
脇参道鳥居。
明治百年祭記念碑(昭和43年10月23日)。
御大典記念碑(昭和3年11月10日)。
平成御大典記念碑(平成2年11月22日)。
社号標「村社稲荷神社」(大正10年6月10日)。
参道にある末社。
なぜか扉が開かれており、中は空っぽでした。
隣接する公園内にあった頌徳碑(昭和48年11月3日)…『現在の広場は青森市大字安田字近野437番地1及1畝22歩の共有者(先代)後継者秋元武一、仝秋元敦、仝秋元清三、仝秋元卓哉、仝秋元博善、右五氏より大正3年10月15日より爾来50年間町会として借用し水田用水火防用水稲荷神社の風景を保ち長年に亘り一般町民は数々の恩恵に浴して参りました。處今回右五氏は先代の意思を承け時代の要求と町会の再三の願望により無償譲渡して頂いた広場で洵に感激の極みである。町会として代表者相謀り其の御誠意に応いたい所存からして青少年の健全育成と一般町民の融和を計り憩と清浄の場として明るい町内造りに寄與し町内発展の一助を致したい所存であります。依って其の由来と右五氏の美徳を碑文にして刻み永久に讃い茲に頌徳碑を建設し記念した次第であります。』