六戸町犬落瀬。金矢三十六天神社。金矢の産土様。神社名は道教に係るものかと思いましたが、六戸町史によりますと、例大祭が3月16日であったことに由来するとのこと。御祭神の菅原道真公は天満大自在天神と称され、毎年5月25日には天神講が催されますが、金矢の三十六天神の場合は創建当初から祭日が3月16日であり、特殊な天神講であったために三十六天神と名乗ったと推測されるとの旨が書かれています。つまり「三十六天/神社」ではなく「三十六天神/社」なんですね。
かつての参道はイチイの木々が両脇に並び立っていました。また、境内には多くの杉やケヤキが茂っていましたが、昭和50年4月30日の神社再建の際に伐採されています。
間口5間×奥行3間の拝殿、間口2間×奥行1間の幣殿、1間四方の本殿から成る立派な造りです。
本殿の内陣には内御堂が安置されています。元の御神体は高さ30cmほどの長方形の自然石でしたが、昭和40年に盗難に遭い、同年10月1日に「三十六天神」と墨書きした木札を納めて御神体としています。
3枚の棟札が残されており、元文2年7月18日の棟札は柱の一部から剥ぎ取った木片で、かつて柳沢のモジナイという場所にあった頃のものです。文化9年3月16日の棟札にはバン(=大日如来)の梵字、「奉造立天満大自在天神宮一宇安全」「五大力菩薩」と書かれており、下田村神明宮別当大法院によって、この地に天神様が祀られたのがわかります。この頃、金矢集落は下田村の大法院の霞でした。安政7年3月16日の棟札には「再建立天満大自在天神 宮御堂壱諸願成就所 持国天 増長天 廣目天 多聞天」とあり、裏面には「大工 七戸住 早坂村 三平」とあり、藩政時代に早坂村が七戸代官所の支配であったことがわかります。
狛犬一対(昭和16年2月26日)。
かなり個性的です。サイズも中々。
狛犬一対(昭和7年旧11月吉日)。
石灯籠一対(昭和3年旧9月30日)。
三十六天神社と馬頭観音堂の間にある参宮記念碑(大正9年2月23日)。
新築記念碑(昭和50年4月30日)。
末社稲荷宮。
こちらは隣にある馬頭観音です。
立派な建物です。
外の建物や鳥居は新しい感じですが、中にあった馬頭観音の祠は歴史を感じました。
馬頭観音堂の横にあった奉納碑。2頭の馬の絵と「昭和9年11月10日三本木産馬畜産組合に於て内洋アングロノルマン種鹿毛白雪號金二百円農林省御用。同日内洋アングロアラブ種栗毛白波號金一千八百円縣廰御用。昭和9年旧10月19日。納主上北郡六戸村字金矢坂本由松建立」とあります。