小湊前萢に鎮座する神明宮。かつては浜子村に鎮座。
社号標。
紀年銘は大正辛酉10年5月16日。
入口付近にあった石碑。
山祇神でした。
菅江真澄が雷電宮へ詣でる際に、当神明宮と雷電山日光院という修験者のもとを訪れています。
御祭神は天照皇大神。例祭日は8月16日。慶長年間に福館城主七戸隼人が浜子村に建立。寛永8年4月に藩命により現在地に移転。貞享2年大庄屋泉屋彦兵衛社殿を新築。正徳5年南部境界の争いに勝利し、藩費を以って社殿を新築。宝暦10年御上より造立の命により社殿を新築。安永5年、嘉永6年に再建。明治6年3月村社。祠掌佐々木和仲(日光院12代)。菅江真澄の記録からもわかるように、神仏分離の以前まで修験日光院は雷電宮外平内の全社堂及び野内村までの社領主でしたが、日光院12代佐々木和仲から神明宮外十三社を受け持ち、雷電宮は祠官山内多文(黒石出身)の所管となり、また、松野木修験清宝院11代佐々木清志が深山神社外十社の所管となりました。
大正10年拝殿の構造を拡張し、幣殿併設の入母屋造に新改築。昭和27年本殿土台及び拝殿修改築。昭和29年9月26日台風15号により杉の大木が11本倒木、更に老松が民家に倒木。昭和30年当社の氏子は沼館・浜子・盛田でしたが、盛田(30戸)は従来の稲荷神社を独立維持することになり協議分離、これに先立ち昭和27年に家岸(12戸)が氏子に加入。昭和28年緑町の一部(20戸)が氏子に加入。昭和40年に直会殿を兼ねた参集殿を新築。昭和49年御神像新調(木彫の白木造)。なお、「天の岩屋戸図」(明治35年6月1日)がありますが、こちらは平内町史(続上巻1)の冒頭にカラーで載っています。
本殿。
本殿前の狛犬一対。
拝殿前の狛犬一対。
昭和37年8月16日(神明宮婦人会一同)。
手水舎。
神楽殿。
五重塔(石灯篭)と四阿。