鎮座地は弘前市中野小三島という場所。西は大三島、東は桜庭狼ノ平、南は中豊田。わかりやすく言えば東目屋ふれあいセンター裏山の中腹に鎮座しています。
神社前まで車で行けるのですが、大変道が細いため、大きな車なら歩いた方が無難です。小さな車でもすれ違うことは不可能なのでやはり歩いた方が無難。急な坂道続きですが、歩ける距離です。
途中にあった庚申塔、二十三夜塔、月讀尊など。
境内からの景色。
あそこが東目屋ふれあいセンター。
中野村はかつて中畑村に併合され、享保11年(1726)に分村、また宝暦9年(1759)の検知帳では宝暦3年(1753)に潰村となり中畑村に吸収され、同9年に再度本村として取り立てられています。
かつて桜庭村の多賀神社の相殿として、当村の船守神が遷座して祀られており、御祭神は底筒男命・中筒男命・表筒男命の所謂住吉三神。草創不詳。
社殿内由緒によりますと船寄神社境内に祀られていた惣染堂とあります。
社殿。
向拝下。
社殿内。
新築寄進者名芳名などがたくさん貼られていました。中野氏子の崇敬の篤さを伺えます。昭和55年旧5月29日(7月11日)に新築されているようです。また、「狼平鬼神社」という表記も見られました。
趣意書…『当狼平神社はその昔鬼神様と稱して住民から親しみ呼ばれ唯一の社であります。毎年旧5月29日を例祭として御祭して来ました。古老の伝説に依れば、古く300余年を迎えると伝えられている船寄神社の境内に鎮座せられていた惣染堂を明治末期に山頂に近き清水と花香の美しい当地の里に移転せられたと伝えられて居ります。当社の創建は不明なるも、この地に造営せられて70年に及ぶ年月を風雪に耐え村の安泰と子孫の繁栄を見守り尊崇を受けてまいりましたが、現社殿は建物が狭く年々老朽の度も増して来ましたので、この度社殿を新築し境内整備をいたしました。之れに要する費用は、金貮百貮拾万円也を数え、亦社内の内装費として、町内外の有志より寄進を仰ぎ、各位の御理解と御協力をいただき、今回竣工の運びと相成った次第であります。以上 昭和55年7月11日(旧5月29日)』
慈愛の泉の碑(作詩昭和47年5月米沢伊佐一敬白)…『雨にぬれ風雪にうたれてもこの石碑は建っていよう こゝには慈愛の泉と憩の神の木かげが静かに待ってる 石碑よいつまでも語りたまえ』
社殿横のこの石積みの奥から水の音が絶えず聞こえてきます。
水が湧いてますね。
そして更にその下にある池へと水が流れていってます。
神池。
透明度の高い綺麗な水でした。
金魚もいます。
池の脇には祠が2つ。1つは「十和田大神・竜神大神・辨財天大神 宮宇國家安全五穀成就之處(神主山田宮司)」とありました。
もう1つの祠は大変荒れてました。
穴の開いた石などが奉納されていたので、底筒男命の本地である薬師如来かも知れません。
こちらの積み上げられた石は変わった形をしていますが何なのかは不明。
角度によっては岩木山に見えなくもない。
裏には何かが彫られている感じもしますが解読不能。
社殿前の石燈籠。
こちらはベンチなのかな。
社殿の周囲にも石がいくつか転がっていましたが、何なのかは不明です。ただの石かも。
神社前は中野町民いこいの広場となっています。
平成24・25年度弘前市民参加型まちづくり1%システム対象事業(補助金438,000円)により、コンクリート舗装となりました。っていうか…凄い場所にいこいの広場がありますね(笑)健康にはとてもいいと思います!
狼平神社道路開通記念植樹碑(平成8年6月5日)。