御神木の杉。
内玉垣の内側に立つ御神木。
1本の杉ですが上部で3本に分かれており、古くから三杉様と呼ばれています。
明治記念館。八戸市堀端に八戸小学校講堂として、明治14(1881)8月に竣工。県内に現存する最古の洋風建築。
洋風の下見板張りの外壁が真壁として納まり、柱の頂部には飾を載せ、胴蛇腹と軒蛇腹とを備えています。八戸藩の大工棟梁であった青木氏の後裔の手による木造洋風建築。
明治14年の明治天皇東北御巡幸に際し行在所として用いられました。昭和4年には八戸市図書館となり、御聖蹟として維持。昭和37年に櫛引八幡宮境内へ移築し、その際窓回り等に若干の改造が加えられましたが、明治の雰囲気を色濃く伝えており、明治記念館として現在に至ります。なお、現在は直会所、神前結婚式控室、会議室等に使用されています。
御神馬と刻まれた台座の上に注連縄をまとった花崗岩の八幡馬が置いてあります。
祖霊舎。昭和42年(1967)竣工。
内部は一部弓道場で、奥が祖霊舎となっています。
神道式にて葬儀を執り行う神葬祭の方々の御霊璽をおさめています。
天井には巨大な絵画。
「豊穣の里 久木田恭輔」とありました。八戸市で活動する油絵画家らしいです。
国宝館です。ここは有料です。大人300円。国宝赤糸威鎧兜大袖付他24点の文化財を収蔵・展示。国宝を見れるので安いものです。
社蔵の赤糸威鎧兜大袖付は長慶天皇御料と伝える鎌倉末期の名作で、別名菊一文字の鎧と呼ばれ、由来は明確ではありませんが、豪華さにおいては奈良春日大社の赤糸威大鎧と東西の双璧と称されるもの。
白糸威褄取鎧兜大袖付も国宝で、卯の花威とも呼ばれ、南北朝期の作です。正平22年根城南部氏7代信光が後村上天皇から恩賞として賜ったもので、応永18年に10代光径が秋田庶季を討った時に着用凱旋して奉納したと伝えます。また、柴糸威肩白浅黄鎧兜大袖付(鎌倉末期)と兜浅黄威肩赤大袖2枚付(室町期)は応永24年と銘記された経櫃の中に保存されていました。唐櫃入白糸威肩赤胴丸兜大袖付は小桜威とも呼ばれ、後亀山天皇御料と伝えます。室町期の作。この他にも永徳2年備州長船幸光作の日本刀1口、応永12年、正保3年の鰐口、鎌倉~室町期と推定される舞楽面9面はいずれも県重宝。これらの社宝について、天明8年幕府巡見使に随行して当社を訪れた古川古松軒は「江戸を出でしより当八幡宮の太宝物第一にて、世にめずらしき物を一見せしことなりし」と述べています。
明治大帝御聖像。
昭和天皇御在位60年奉祝記念碑。
御大典奉祝碑。
加藤憲曠句碑。「石獣の口に虫棲み融雪期」。
重軽神。
地域信仰或いは民間信仰に根ざしたものと考えられる重軽神。
願いを掛けて参拝してから石を持ち上げ、願いが叶う時は軽々と持ち上げることができ、願いが叶わない時はどんなに力を入れても持ち上がらないと云われています。
こちらは重軽神の横にありました。
表門の他にも東西に門があります。
西門。
神楽殿。
社務所。
長所(旧拝殿)です。慶安元年(1648)建立。桁行七間・向拝一間・入母屋造・銅板葺。国指定重要文化財。
移築後も旧姿をよくとどめ、本殿と一体のものとしてあった時の形が偲ばれるものです。裏手には新拝殿を造営する趣旨について細かく書かれた石碑がありました。
長所と大銀杏。
祈祷殿。
祈祷殿前の駒立杉。樹齢は約700~800年と推察されています。境内に馬に乗ったまま乗り入れることができたのは殿様(南部公)のみであり、その馬をこの木に繋いだことから駒立杉と呼ばれているそう。
この巨木は現在も成長を続けいており祈祷殿の屋根を圧迫し始めているとか。内部には大きな空洞があり、100匹を超えるコウモリが住んでいて夕方になるとその出入りを見ることができます。
長所(旧拝殿)裏手の石碑群。
庚申塔的なものと思いきや…
様々な寄進者名が彫られた石碑群。比較的新しいと思われます。
うーん…説明が欲しいところ(笑)