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Channel: くぐる鳥居は鬼ばかり
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五雲山 正休寺 (板柳町)

標柱より…「万治2年(1659)弘前真教寺より開基されたとある。以来焼失再建等の記録有り、山門は寛政年間の建立と推定、切妻造、四脚門等の構造技術が発揮された貴重なる建造物である。」貞享4年(1687)検地水帳にも正休寺屋敷がみえます。山門は町文化財第2号。庭園も素晴らしいです。ブログ村ランキング参加中←クリック宜しくお願いします♪

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水虎様!? (つがる市木造林)

古田川排水路沿いにあります。こちらは…水虎様じゃないですよね。妙見菩薩ではないでしょうか。まぁ何とも判断しかねるところです(笑)ブログ村ランキング参加中←クリック宜しくお願いします♪

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鹿嶋神社 (五所川原市桜田)

かつての桜田村で、元禄11年に岩木川洪水で冠水した歴史を持ちます。八咫烏?鷲っぽいですけど。御祭神は武甕槌命。創建年月日不詳。明治3年4月25日、社殿建設許可。明治14年社殿修築。大正11年5月改築。末社には石像・水神。恵比寿様と大黒様。養老記念奉納馬。最近気付いたんですけどちゃんと性別があるんですね。モザイク入れたら逆効果(笑)庚申塔や馬頭観世音。ブログ村ランキング参加中←クリック宜しくお願いします♪

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宝珠山 立石寺 ~ 其之壱 (対面石・亀の甲石・宝物殿・日枝神社等)

数回にわたって山形市の山寺を紹介していきます。まずは腹ごしらえだよね!!もちろん蕎麦と芋煮で。対面石と対面堂。貞観2年(860)慈覚大師が山寺を開くにあたり、この地方を支配していた狩人磐司馨三郎と大石の上で対面し、仏道を広める根拠地を求めたと伝えられ、狩人をやめたことを喜んだ動物達が磐司に感謝して踊ったという伝説の獅子踊りが山寺磐司祭で奉納されます。この大石に左手をあてて願いを込めれば、良いことに対...

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宝珠山 立石寺 ~ 其之弐 (根本中堂・念仏堂・清和天皇御宝塔・姥堂・空也塔・御手掛岩・磨崖仏安然和尚像等)

『山寺立石寺と根本中堂。山寺は、正しくは宝珠山立石寺といい、貞観二年(860)清和天皇の勅願によって、慈覚大師が開いた、天台宗のお山である。慈覚大師は、辺境の東北各地に、多くの寺院を建立したが、立石寺の創建には特に力を入れ、明るく正しい人間を養成する道場を確立し、鎌倉時代には、東北仏教界の中枢をなして、山上山下三百余の寺坊に一千余名の修行者が居住、盛況を極めた。戦国時代、山内が兵火をあびて一時衰退し...

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宝珠山 立石寺 ~ 其之参 (せみ塚・弥陀洞・仁王門・観明院・山内支院・一切経蔵・記念殿等)

閑さや 岩にしみ入る...

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宝珠山 立石寺 ~ 其之肆 (大仏殿・奥之院・金灯篭・多聖場・帝釈天堂・胎内堂・釈迦堂・開山堂・納経堂・入定窟等)

大仏殿。像高5mの金色の阿弥陀如来像を安置し、毎日卒塔婆供養を行っています。奥之院。正式には如法堂といい、慈覚大師が中国での修行の際に持ち歩いた釈迦如来と多宝如来を本尊として安置。明治4年に火災にて焼失しましたが翌年再建。石墨草筆の写経道場。大仏殿・奥之院からの眺め。日本三大常夜灯の一つ、立石寺の金灯篭。明治28年名工小野田才助が鋳造。多聖場は塔婆供養所。立石寺は全国で一番塔婆の多い霊場。観仏三昧海...

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宝珠山 立石寺 ~ 其之伍 (五大堂・磐司祠・滑り台・抜苦門・本坊・羅漢像・神楽岩等)

いよいよ五大堂へ。床下を潜っていきます。狭いねぇ。五大堂。正徳4年(1714)に再建された舞台造りの御堂。五大明王(大聖不動明王・東降三世明王・大威徳明王・南軍茶利夜叉明王・北金剛夜叉明王)を安置。素晴らしい景色。ってことで、五大堂から…撮り鉄…えぇーーーー!(笑)五大堂から更に上へ少しだけ行けます。開山権現。磐司祠。磐司磐三郎を祀る場所。磐司磐三郎については其之壱の対面石と対面堂の説明を参照してく...

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浄土宗 金光山 摂取院 (藤崎町)

本尊阿弥陀如来。もと弘前貞昌寺末。法然の弟子金光が奥州布教の際藤崎の法輪丘に住み、建保五年(1217)金光の死により施主堂が建てらてられたとしますが伝説の域を出ないとされます。寺伝では建保3年(1215)金光を開山として創立。天和4年(1684)の藤崎村絵図には念仏堂とみえます。平山日記によりますと、元禄4年(1691)旅僧が参詣人の髪毛を縫って曼陀羅を作製したとあり、この曼陀羅は現存。寺伝によれば...

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津軽稲荷神社 (東京都墨田区錦糸)

「本所に過ぎたるものが二つあり津軽大名炭屋塩原」としても知られる津軽藩下屋敷跡です。近くには上屋敷もありました。その屋敷神として祀られていた稲荷宮。御祭神は宇賀御魂神。『津軽稲荷神社は青森県弘前城主津軽四郎為信十万石の下屋敷にて一万坪は明治43年の大水害と共に拂下られ太平町一丁目町会の所有となる。昭和7年町名変更の際錦糸一丁目町会の守護神となり祭神は伏見稲荷神社の分神にて町民の信仰厚く大正12年関東...

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竹鼻八幡宮 (五庚申塔・廻国納経塔・百観音碑 / 黒石市)

御祭神は誉田別尊。延宝3年(1675)4月15日竹鼻村中にて建立。貞享4年検地水帳に伊豆大夫抱えの八幡宮があります。安政2年神社書上帳によりますと…御棟札宝暦十庚辰年三月文化十三丙子年八月天保十二辛丑年九月右堂社古来より村中にて再建仕来候とあり、代々村中にて社殿を改築し今日に至ります。明治6年に愛宕神(御祭神は経津主神)、神明宮、二双子村の伏見神(御祭神は大宮姫命・少彦名神・大己貴命)を相殿として遷...

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櫛引八幡宮~其之壱 (八戸市八幡)

右回りで参拝してくださいとありましたが、記事の順序はバラバラです。境内の用地は約53,000㎡(1万6千余坪)あり、神域内には樹齢数百年を経た老杉が立ち並び、古来より「八幡山」と呼ばれ、親しまれています。旧郷社。祭神は誉田別命、天照皇大神、天児屋根命、ほか10数神。正門前には朱色の太鼓橋がかかっています。池には河童が住んでいます。正門は国指定重要文化財。扉部分には当地では珍しい乳金具(乳房の形をした...

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櫛引八幡宮~其之弐 (八戸市八幡)

西参道。合祀殿。大国主神をはじめ、15柱の神々をお祀りしています。神明宮裏手、本殿横にある仮殿。末社の神明宮。国指定重要文化財。御祭神は天照皇大神。元文4年(1739)勧請。一間社流造、銅板葺。本殿に向かって右側に奉られています。屋根は流れるような美しい曲線で、基礎部分は自然石の磁石となっています。末社の春日社。国指定重要文化財。御祭神は天津児屋根神。元文4年(1739)勧請。本殿に向かって左側に奉...

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櫛引八幡宮~其之参 (八戸市八幡)

御神木の杉。内玉垣の内側に立つ御神木。1本の杉ですが上部で3本に分かれており、古くから三杉様と呼ばれています。明治記念館。八戸市堀端に八戸小学校講堂として、明治14(1881)8月に竣工。県内に現存する最古の洋風建築。洋風の下見板張りの外壁が真壁として納まり、柱の頂部には飾を載せ、胴蛇腹と軒蛇腹とを備えています。八戸藩の大工棟梁であった青木氏の後裔の手による木造洋風建築。明治14年の明治天皇東北御巡...

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鷹にメドツ (櫛引八幡宮 / 八戸市八幡)

正門前には朱色の太鼓橋がかかっています。そして池の中央には…河童!左右に河童!!筋肉質な方がオス河童で、子河童におっぱい飲ませているのがメス河童。櫛引八幡宮本殿の左の脇障子には鷹にメドツ(河童)。どうやっても河童部分を上手く撮れる角度がありませんでした。どうしてもちょうどメドツの部位に手すりが…。『「馬渕川のメドツは腹が空くと人でも馬でも川の中へ引っぱり込んでイタズラをした。八幡様の使いの者の鷹がメ...

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神楽坂 (東京都新宿区)

旧江戸城の牛込御門を出て外堀通りに出たところが神楽坂下。そこから神楽坂通りを上って、毘沙門天善国寺を過ぎ、大久保通りを越えて地下鉄神楽坂駅辺りまでが神楽坂と呼ぶ界隈。神楽坂標柱。「坂名の由来は、坂の途中にあった高田八幡(穴八幡)の御旅所で神楽を奏したから、津久戸明神が移ってきた時この坂で神楽を奏したから、若宮八幡の神楽が聞こえたから、この坂に赤城明神の神楽堂があったからなど、いずれも神楽にちなんだ諸...

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日蓮宗 鎮護山 善国寺 (善國寺)・神楽坂毘沙門天 (東京都新宿区)

神楽坂の坂上南側に鎮座。本尊は十界大曼荼羅。開基日惺は池上本門寺12代で、関白二条昭実の猶子。徳川家康より天下安全の祈祷の命を受けての創建。寺伝によりますと文禄4年(1595)麹町に起立したとしますが、はじめ馬喰町の追廻馬場の北西側にあり、寛文10年(1670)に焼失して麹町に移ったともいわれます。日悟の代に水戸光圀(黄門様)の帰依を得て、延宝2年(1674)本堂や鎮守の毘沙門堂を再建。狛犬ではなく...

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杭止神社 & 川崎権太夫伝説 (弘前市如来瀬)

境内由緒。『津軽に水田灌漑のために人柱のあったとされる伝承は浅瀬石川の藤崎堰と、ここ杭止堰の二例である。ここは岩木川左岸の灌漑には重要な地として、古くから第一の堰口があったとされるが、何時の頃からかは詳らかではない。岩木川がしばしば氾濫を起し、村人達に大きな被害と恐怖を与えていた。伝承によると、文明4年(1472)旧暦4月26日、堰神の神官川崎権太夫(現羽黒神社-宮地-の川崎氏の遠祖)が自ら人供養と...

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春日内観音堂 (相内飛竜宮・五所川原市相内)

春日内観音堂案内版…「津軽三十三霊場十七番札所である。ここはもと竜興寺と春品寺跡と伝えられる。奥院は鞘堂で、堂宇は飛竜宮といわれ、元和九年(1614)に建て直されたという。明治初年、神佛分離にあたり観音堂は廃堂となったが、まもなく聖観音を神体とする春日内神社として復元され、順礼を迎え続けた。大正時代になって飛竜宮を廃し春日内観音と呼び直して現在に至っている。十七番札所御詠歌...

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熊野神社・安寿姫と津志王の伝説 (平川市大坊)

かつての大坊村。貞享4年検地水帳に権現堂とあり、これは薬師権現堂のことであり、中世には熊野権現堂だったと伝えます。明治4年に神仏分離により熊野神社に改称。御祭神は伊弉諾命、伊弉册命。青森県神社庁によりますと、大同2年(807)、田村麿将軍夷賊退治の際に、首魁大嶽丸を討ち、その首を埋葬。その際、賊が用いていた頬面2枚があり、それを首塚の堂社に安置して薬師権現と称していましたが明治4年に熊野宮と改称。当...

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