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三内八幡宮 (青森市)

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三内村は2つに分けて把握されることが多く、天明年間の工藤白竜『津軽俗説選』では上三内・下三内とあり、菅江真澄の「すみかの山」では大三内・小三内とあります。三内村は桜の名所として名高く、『津軽俗説選』では「外が浜に近き油川組三内は、野も山も一面の桜にして、花盛りの砌りは吉野の出店かと思はるる佳境なり」とあります。
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菅江眞澄が「すみかの山」(寛政8年4月14日)にて次のように記しています…『このあたりで有名な三内の桜を見ようと、朝早く、大浜をでて川をわたり…(中略)…三内村にきた。稲荷、誉田の御神をあわせてまつっている社があった。道をいささか行くと、向三内、またの名を小三内ともいうところがある。ここにも稲荷の社があって、境内の桜が高い枝にひらいていた。大三内、小三内の花は、すべてふつう世間にある桜と似ていない。一本の木に二枝三枝、ささやかに茂って、花に花の寄生があるようで、またとたぐいのないものである。』。
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また、菅江真澄を案内した村長は三内の桜について次のように語っています…『これが名高い三内の千本桜といって、またと他にない桜である。天明三、四年の凶作の前までは、吉野は別として、ひろい世の中にも、このようにみごとな桜花のあるところはなかろうと、わが住む郷里ながら、花の咲くころは誇りにしていたが、荒廃した世情のために薪に切られてしまい、いまは桜花の木も残りすくなくなってしまったが、若木もひこばえもたいそう多いから、十年も過ぎたならば、むかしの春のころのように栄えることだろう』
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由緒(案内板より)…『草創年月不詳、正徳4年(1714)五穀成就、村中安全の為再建。その後村中にて祭祀。安政2年書上帖には、油川組三内村八幡宮一宇、板葺屋根の三尺四面の堂社、萱葺の東西5間南北3間の雨覆、東西50間南北40間の境内がみえる。明治6年村社に列せられ、昭和7年10月神饌幣帛料供進を指定される。神社の南南西約1kmに三内丸山遺跡、川を隔てて三内沢部遺跡等、旧石器時代後期、縄文時代及び平安時代後期の遺跡群がある。このことは古くから知られており、菅江眞澄「すみかの山」に土器や土偶のことが書かれている。また、三内は桜の名所として知られ、天明年間の「津軽俗説選」や「すみかの山」にもその見事さが記されている。祭事:4月15日祈年祭。5月吉日権現さま巡行。8月14日宵宮祭。8月15日例大祭。11月15日新嘗祭。12月24日御幣上げ。12月31日年越し祭。1月7日どんと焼き。毎月15日月次祭。』
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地内沢部に正徳4年、五穀成就・村中安全のため勧請と伝える八幡宮があります。もしくは正徳4年再建。
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安政2年神社書上帖には油川組三内村八幡宮一宇、板葺屋根の三尺四面の堂社、萱葺の東西5間南北3間の雨覆、東西50間南北40間の境内がみえます。御祭神は譽田別神。また、馬頭観音を祀る惣染堂がありましたが、明治初年の神仏分離にて廃堂とあります。
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拝殿。
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本殿。
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手水舎。
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手水石。
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石灯籠一対(明治23年旧8月15日)。
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狛犬一対(明治24年旧4月15日)。
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御神木。
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御神馬。
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紀元2600年旧1月1日。
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馬頭観音堂かな。
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山和龍神下社。
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手水石。
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猿田彦大神(明治14年6月30日)。
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征露紀念碑(明治39年旧4月15日)。
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馬頭観世音菩薩。
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