Quantcast
Channel: くぐる鳥居は鬼ばかり
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2365

犬の宮 (高畠町)

$
0
0
イメージ 16
戌年なので犬の宮の紹介。ちなみに上の写真の石碑は社号標ではなく「愛染王(愛染明王)」。鎮座地は山形県東置賜郡高畠町高安。かつての高安村。はじめ蒲生氏領、慶長3年上杉氏領、慶長6年米沢藩領、寛文4年幕府領(一時期米沢藩預り地)、慶応2年から再度米沢藩領。
イメージ 17
日本でも珍しい犬を祀る神社。正式名称は犬の宮南無六道能化地蔵尊。別当林照院。愛犬の供養と健康祈願で、写真や首輪を奉納する参拝者が多いのが特徴。中でもペットの遺品を奉納して供養を願う者が昭和50年頃より増え、昭和63年より毎年7月第4土曜日に犬の宮前で全国ペット供養祭が行われるようになりました。別当寺院住職の読経により、全国のペットと参列希望者のペットの供養が執り行われます。
イメージ 18
犬の宮由来記…『昔(和銅年間の頃)この高安村は毎年春秋の二回、都の役人に人年貢を差し出す事になり村人が難渋していました。ある時、道に迷った旅の座頭が一夜の宿を乞い、村人から不思議な年貢取立ての話を聞き及び、何物かの仕業と推察、村人に悪魔退散の策を授け座頭は村を去った。村人達は早速、役人を酒席に招き甲斐の国から借りて来た、三毛犬、四毛犬を放ったところ、大乱斗の末、倒されたのは役人ではなく二匹の大狸と多数の荒狸であり傷ついた二匹の犬も、まもなく死んでしまいました。この村の大難を救ってくれた二匹の犬を村の鎮守にせよ、との座頭のお告げにより、崇めまつったところ、この里は難産もなく生れる子供は無難に育ち村が栄えたと云う。又この地に生息した高安犬は強い耐久力と激しい闘魂をもつ優秀な狩猟犬(マタギイヌ)として有名である。(戸川幸夫『高安犬物語』)平成6年1月高畠町・高畠町観光協会』
イメージ 19
手水石と石灯篭。
イメージ 20
手水石と石灯篭。
イメージ 21
湯殿山、黄金山などの碑。
イメージ 22
犬の宮南無六道能化地蔵尊とのことで地蔵菩薩像。
イメージ 23
参道と鳥居。
イメージ 24
青面金剛。
イメージ 25
犬の宮(高畠町HPより)…『「チンは高安犬としての純血を保っていた最後の犬だった」の書きだしで始まる『高安犬物語』(動物作家:戸川幸夫氏)の直木賞受賞作の舞台になったところで、安産と無病息災の神としても知られ、犬をまつっている社としては全国でも珍しく愛犬の健康と供養に訪れる人も多い。<由来>和銅年間(708年~714年)都から役人が来て村人を集め「この里は昔から年貢も納めず田畑を作っていたが、今年から年貢のかわりに毎年、春と秋には子供を差し出すように」といい、村では大変悲しみ困っていた。ある年、文殊堂帰りの座頭が道に迷い、一夜の宿を頼んだところが、今年の人年貢を差し出す家だった。ある夜、役人が現れ、ご馳走を食べながら「甲斐の国の三毛犬、四毛犬にこのことを知らせるな」と何回も念を押して帰るのを耳にした座頭は甲斐の国に使いをやり、三毛犬と四毛犬を借りてこさせ、いろいろ知恵を授け村を去った。村人は早速役人を酒席に招き、酔いが回ったところに、2匹の犬を放ったところ大乱闘になった。あたりが静まり返った頃おそるおそる座敷を覗いてみると、血の海の中に子牛のような大狸が2匹と多数の荒狸が折り重なって死んでいた。そばには三毛犬、四毛犬も息絶え絶えに横たわっていた。村人は必死に手当をしたが、とうとう犬は死んでしまった。この村を救った犬を村の鎮守とせよとのお告げにより、まつったのが現在の犬の宮といわれている。』
イメージ 26
参道石段と石灯篭一対。
イメージ 27
犬の宮。
イメージ 1
かつては茅葺屋根の宮だったそうです。
イメージ 2
イメージ 3
鰐口が2つ。神社気分で来ましたが、正面には猫の宮と同様に写真が写真がピッチリ貼られており…手を合わせて拝む感じですね。
イメージ 4
狛犬一対(高安犬がモデル。昭和9年)。
イメージ 5
イメージ 6
高安犬は当地区で飼われていた日本犬の一種で、狛犬からもわかるとおり犬張子を思わせる体型です。優秀なマタギ犬として、熊などの獣猟や五目猟に使われていましたが、昭和初期に絶滅。作家戸川幸夫氏の直木賞受賞作となった『高安犬物語』は、この犬種の最後の1頭とされたチンの姿を描いた作品。戸川幸夫氏は旧制山形高等学校在学中にこの犬について知ったといいます。チンは最期はフィラリアに罹り死亡したそうです。剥製にしようしましたが、剥製師の技量が悪く失敗したため、現在は生前の写真が数枚残るのみ。
イメージ 7
狛犬と共に参道を振り返るの図。
イメージ 8
こちらは状態が悪いです。一度頭部が壊れた形跡があります。顔がわからず、尻尾だけを見ると猫に見えますね。
イメージ 9
向拝狛犬一対。状態は良くありませんが可愛いらしさが残っています。
イメージ 10
イメージ 11
本殿。
イメージ 12
石燈篭、石祠、千手観音菩薩像などなど。
イメージ 13
愛犬ピッチ号記念碑(昭和55年6月)。ピッチ号は洋犬牡犬、昭和37年2月に神奈川県大和市寒川に生れで、近隣のボイラー室からの火災発生時に吠え、消防署に急報することができ、家屋への延焼を防いだ犬であり、以後地区住民の守護犬と常に親しまれたといった旨の内容と、昭和52年3月に亡くなるまでの表彰記録などが彫られていました。
イメージ 14
安犬の碑…『ピンと立った耳犬張子のように張った胸たくましく巻き上った尾キッと正面を見すえる刺すような瞳悠々と力強く歩いてくるその犬を見た瞬間私はこれこそ長い間さがし求めていたものだと感じた。この犬がチンだった(安犬物語から・戸川幸夫)』
イメージ 15
イメージ 2
イメージ 3

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2365

Trending Articles