県道242号線沿い。住所は青森市駒込字深沢。八甲田温泉の近くです。向かいにはたんぽぽコーヒーの店。
灯篭一対(平成10年6月12日・上戸家石材)。
参道。
古そうな鳥居。
社殿周囲には石がゴロゴロ。
社殿(覆屋)。
覆屋内。
本殿。由緒等は調べておりません。
お隣の祠。
1体は伏見稲荷像ですね。隣はお顔が見えないので判断しかねます。
よく見えませんが本殿裏にいくつか置かれている石が気になりますね。
不思議な形をしています。
神社向かいの喫茶たんぽぽが見えます。
拓魂碑。
碑文…『大自然と人類の調和を願い伐り開いたこの大地を子孫の繁栄と悠久の未来に贈る。衆議院議員竹中修一書。』『この開拓は昭和22年青森県開拓少年隊(隊長鎌田猛隊員50名)の入植に始まるそれは我が国高冷地農業開発の先端を行く壮挙として注目を集めたが立地条件の酷しさに加えて経験の少ない青少年の集団では至難の業であり1ヶ年にして隊員は殆んど離散隊長又病魔に冒され不帰の人となり残留せる者わずかに5名翌23年青森県副知事松野伝農学博士の斡旋により日本の酪農家としてその名も高き富樫鉄之助翁を指導者と仰ぐ翁は直ちに北海道勇拂郡安平村の酪農地帯より指導農家20戸の先遣隊を導入明けて24年にはその家族の一部をも移住せしめて開墾営農に努めたがこれ又4戸を残して全て離脱した翌25年より2ヶ年に亘り翁は自分の故郷である山形県飽海郡下の農家次三男と地元青森県内の希望入植者を併せて40余戸を入植せしめ次いで28年には遠く岐阜県の分村入植者3戸をも受け入れて鋭意開拓事業に専念した結果離農者相次ぐ中にも漸次定着農家の累積を見て30戸の計画戸数に達するまでとなった官公庁の指導により営農基盤と環境の整備が促進され部外者からの暖かい協力と激励を心の支えとして今日漸く肉牛生産地として将来を期待されるに至ったこの間30年指導者富樫翁は既に亡く残る農家は22戸を数える開拓者の道は常に冷厳なる大自然の中で生命をかけた斗であった夛くの心からなる協力者に今改めて謝意を表し碑文とする 田代平開拓酪農協同組合』
田代平開拓三十周年記念碑(建立賛助御芳名省略・昭和52年9月18日)。
以下は喫茶たんぽぽの写真です。
たんぽぽクッキー。
たんぽぽコーヒー&羊羹。
もちろんたんぽぽが使われています。
喫茶たんぽぽではお店の外でも楽しめます。
ツリーハウス、ブランコ、ハンモック、足湯…