鹿角市十和田錦木字申ヶ平。御祭神は猿田彦命、田道将軍、天宇都女命。
社号標紀年銘は平成6年10月29日(小舘電気小舘信市・錦東部落氏子一同敬白)。
かつての社号標。
読み取りにくいですが、恐らく紀年銘は明治42己酉年旧9月29日。願主名省略。
史跡田道将軍陣没の地…『仁徳天皇55年(367年)上津野(かづの)の蝦夷と戦って此の地に陣没されたと伝えられている。』
手水石。
石灯篭一対。
狛犬一対。
紀年銘は昭和18年5月29日。大東亜戦勝祈願記念。出征家族一同奉納。
神社の隣は広場になっていました。
社伝によりますと、元亀3年申年5月に申ヶ野・五軒屋村にて創建。また、仁徳天皇55年に蝦夷の討賊に来た田道将軍の遺骸を葬った処に建立されたものとも考証されています。
明治44年に字申ヶ平八幡神社、同45年字沢尻八幡神社を合祀。
青森県の猿賀神社はこの鹿角から御神体が流れついたものを祀ったとも伝えられています。
青森の猿賀神社の由緒には『古典(日本書紀)によれば田道命は「仁徳天皇五十五年(西暦三六七年)勅命を受けて北夷の反乱平定のため東北地方に兵を進めたが、戦利あらず、伊寺の水門で戦死なさる。後に大蛇の姿となって平定した」とある。又社伝によれば「五十六年蝦夷の毒手に敗死なされ、従者その屍を仮葬し、賊を捨て帰京す。蝦夷その墳墓をあばくに、たちまち遺体大蛇と化して毒気を吐発す。土人大いにおそれて鹿角郡猿賀野に祀って産土神となす。その後、二百年の星霜を経て、欽明天皇二十八年(五六七年)に大洪水あり。この時、田道命の神霊、白馬にまたがり漂木を舟として流れにしたがい、当地に移遷し給う、当地住民神霊を迎え奉て古木(鍋木)の洞穴に祀る」』とあります。
拝殿蟇股・木鼻・海老虹梁・手鋏。
本殿。
拝殿前御神木。
本殿裏御神木。
猿賀神社は大湯環状列石の近くにありますが、それを意識しているのかな。
御神木の根元も。
庚申塔も。
将軍田道祠。
田道将軍戰没之地(明治41年9月29日建立)。