東京都港区新橋にある新橋塩釜神社。
塩釜公園の沿革…『江戸時代、この公園の場所は、仙台藩主伊達家の中屋敷内にあり、鹽竃神社の境内になっていました。この神社は、はじめ元禄8年(1695年)に今の東新橋にあった伊達家上屋敷内に、領地の鹽竃神社本社から分霊を迎えて祀られていたものが、安政3年(1856年)に移転され、邸内社として私に祀っていました。その後一般の人々にも参拝を許し、本社に同じく安産の神様として信仰を受けました。明治になり、大名屋敷がなくなってからも神社は存続しましたが、大正12年の関東大震災の後、災害時の避難場所の確保と町民の安息や子供の遊び場もかねて、昭和5年に東京で唯一の町立鹽竃公園として開園しました。その後昭和46年、港区が区立塩釜公園として整備しましたが、敷地拡張に伴い、この度、全面改造を行いました。昭和59年12月東京都港区』
塩釜公園(841.97㎡)。石製モニュメントや木製遊具が設置され、広場にはケヤキやサクラなどが植えられています。
参道。
社号標。
石灯籠。
何やら色々あります。崩れた石灯籠など…瓦礫状態。
何かの台座かな。きちんと見ていませんが詳細不明なものが多いです。
古そうな南側の鳥居(寛永5)。関東大震災及び空襲による火災の影響ですかね。
稲荷神社用の鳥居かと思いましたが鹽竃神社とありました。
手水舎。
こちらは正面参道の冠木門のような鳥居。
これも被災したからこのような形なのかな。
元々こういう形なのかも知れませんが。
狛犬一対(大正15年9月)。
天水桶一対(安政3年・菊花紋・「惣宿守」「宿守小頭」「江戸深川 釜屋七右エ門」・釜七製)。
隣の四角い天水桶には「百度」とあります。恐らく百度参りの百度。
御神木。
鹽竃神社の御祭神は鹽土老翁・武甕槌命・経津主命。境内社稲荷神社。その他、祖霊社(藤原鎌足・伊達政宗)、秋葉神社、学神社(天満天神菅原道真)が合祀されているそうです。安産守護・延命長壽・産業振興・交通安全に霊験あり。
藤原鎌足の末裔、奥州の雄藩仙台藩主陸奥守伊達綱村が、元禄8年冬に陸奥国一宮塩竃大明神をその本祠より江戸汐留の藩邸内に勧請したのにはじまり、その後、13代藩主伊達慶邦に至り、安政3年4月29日に現在地に遷座。明治11年2月より一般の参拝を許し、毎月10日の縁日には安産を祈願する多くの女性に厚く崇敬されました。大正12年に関東大震災で被災、昭和20年には空襲にて再度焼失。昭和40年代までに順次再建するも、現在は年始を除いて神職や社番が常駐しない無人社となっています。
かつての石灯籠…の台座かな?
「奉納駒犬壹封 塩竃講…」と書かれた石碑。裏面は見ていません。台座には盃状穴。
稲荷神社・秋葉神社縁起碑…『古来當町の守護神として稲荷秋葉の両社此地に鎮座せられたりしも偶大正12年9月の大震火災は之をして空しく烏有に帰せしむ唯一基の石燈籠のみを存し嘉永二巳酉2月初午の刻字あるを見る蓋し稲荷の神前に奉献せられたるものにして毎年5月稲荷祭の執行を例とし来れるに鑑みれば秋葉はその合祀に係るものならへし遮莫稲荷は食饌の主神たり秋葉は鎮火の霊験ありと稱せらる傳へ云ふ當町は往昔より火災極めて稀なりと且看る町民食に豊にして其堵に安んするを是れ實に二神威徳の然らしむるに由る今乃ち社殿を舊地に再築し伏見稲荷神社及び遠州秋葉神社の神符を請ひ得て町會役員並に有志相共に社前に會同し恭しく神靈奉安の式典を擧く時に昭和5年7月4日なり是に於て當町復興の實は啻に其輪奐の美に土まらす加ふるに精神的振作を以てせりと謂ふへきなり庶幾くは将来二神の威徳益益大にして當町の福社更に幾倍せらるゝものあらんことを仍て碑を建て當社再築の由來を記すると云爾 昭和5年7月鹽竃公園稲荷秋葉両社殿建設委員長・愛四町會長長谷川吉之助 鞍谷清謹書 鱸猛麟鋳』
境内社の稲荷神社へ。
狐一対。
こちらは壊れた狛犬ですかね。
秋葉神社らしく防水用水石。
御祭神は倉稲魂命・火之迦具土大神。
石祠前に稲荷神社の扁額があります。祠の裏から誰かが覗いてる…
大黒様(大国主命)と恵比寿様(事代主命)でした。