秋田県大館市八幡。何度も参詣している神社です。記事に起こすのは2度目です。
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御祭神は誉田別命(応神天皇)、息長足姫命。慶長15年(1610年)創建。例祭は7月15日。
関ヶ原の戦いの後、常陸国より佐竹氏が秋田に転封の際に、随伴した小場義成(佐竹西家)が慶長15年(1610)に久保田藩大館城の初代城代となり、入城と同時に佐竹氏の守護神である常陸国(現常陸太田市)の若宮八幡宮の神霊を奉持し、大館城の守護神として城中に祀ったのが始まり。万治元年(1658)2代目城代小場義易は、神殿を城中から城の東(現在地)へ遷座。貞享4年(1687)4代目城代佐竹義武が更に若宮八幡宮を造立して八幡2社としました。この2社は造立以来大館城中の守護神及び内町16町の総鎮守として崇敬を集めます。
秋田県神社庁より…『慶長7年、大館初代城主佐竹義成は、宗家佐竹義宣の水戸より秋田国替えに随伴し、常陸国小場より大館に遷封される。遷封の際、佐竹家宗祖以来の守護神である常陸太田八幡宮の神霊を奉持し城中に祀った。これが大館八幡神社の創始である。万治元年大館2代城主義易公は、城中より神殿を現在地に遷座させる。これが正八幡宮であり4代城主義武公、貞享4年更に若宮八幡宮を造立し八幡2社とした。この神殿2棟が軒を揃えて並ぶ配置に特徴がある。この2棟造立の貴重な資料である棟札が14枚保存されている。ともに一間社流造りで小規模ながら各部に極彩色を施し豪華な造りになっており、江戸初期の桃山式の香りを持っているが形態配色もよく気品が全体に漂っている。両神殿とも造営目的、年代などその背景も明瞭であり、その建築技術それに倍加して装飾内容など優美で、江戸初期にさかのぼる数少ない神社建築として貴重である。昭和43年秋田県指定有形文化財、平成2年国指定重要文化財となる。神殿保護のため鞘堂を設け完全防災設備が施されている。造立以来330余年、大館城中の守護神、内町16町の鎮守総社として崇められ、また戌亥生れの守護神として特に崇敬をあつめている。』
境内標柱「国指定重要文化財(建造物)大館八幡神社神殿二棟(平成2年3月19日指定)」。
境内標柱「大館八幡神社」より…『国指定重要文化財1990年3月19日(神殿2棟・建造物・棟札13枚)。祭神は誉田別命・息長足姫命。大館佐竹氏の氏神であり、内町(侍町)の鎮守として武家に崇敬されました。1687年、4代大館城代義武が現在地に八幡2社を建立。北側に正八幡宮、南側に若宮八幡宮を配しています。建築様式はこけら葺き流造で、杉材を使用しています。彫刻には極彩色の装飾が施され気品が感じられます。17世紀の神社建築として価値の高いものとされています。』
庚申塔。
狛犬一対。
昭和14年9月建立(明治戊戌同年會奉納)。
幣殿改築奉賛者御芳名(昭和57年7月15日竣工)。
石灯籠一対(昭和3年御大典月)。
案内板「国指定重要文化財(建造物)」より…『大館八幡神社神殿二棟(平成2年3月19日指定)。所在地大館市字八幡一番。所有者宗教法人大館八幡神社。大館八幡神社は、慶長15年(1610)初代大館城代となった小場(後の佐竹)義成公が常陸国より神霊を勧請し城内に創建、その後4代佐竹義武公が貞享4年(1687)現在地に遷し、神殿を創建したものである。神殿は現在鞘堂の中にあり、正面向かって左に「正八幡宮」、右に「若宮八幡宮」の2棟が並び建っている。両殿とも一間社流造、向拝一間、こけら葺で、向拝に七曜文・牡丹唐草文、木鼻に牡丹(本宮)・若葉(若宮)を彫り、建立当初の姿をよく遺している。この神殿は江戸時代前期の建築ながら、蟇股・木鼻・虹梁等の細部の手法に桃山様式の遺風を伝え、華美にはしらぬ彩色とともに、東北における洗練された流造の建物である。文部省・大館市教育委員会』
狛犬一対。
紀年銘は読めそうで読めず。
案内板「大館八幡神社の由耒と建築的価値について」…『大館城初代の城代義成公は慶長7年(1602)常陸国小田より、秋田に遷封された佐竹義宣公と共に移り、一時は桧山に居住。慶長15年(1610)大館城が築城され大館に入った。一国一城令により城代と称し隣藩津軽南部に対する要害の地となった。慶長15年義成公が大館城に入るや、祖宗以耒、佐竹の守護神として崇敬した常陸国太田八幡宮の神霊を城中に祀った。大館城代2代の義易公は城中から現在地に万治元年(1658)に遷座し神殿の再建がはかられた。この神殿一対が流れ造りの優雅な建築美、彫刻美、色彩美で他に類を見ず昭和44年3月秋田県重要文化財として指定されたものである。実に320年前に建立されたもので、その建立年号も貴重な棟札が現存していることによって証明されている。明治2年建立の鞘堂も朽ち、昭和32年神殿建立300年を記念として市民の浄財により新たに四面を覆い後世への記念とした。祭神:誉田別命・息長足姫命。建築的価値:一.年式:万治元年9月(1658年)。二.建築様式:徳川初期で桃山式の香をもった日光に似た建築物である。三.建築の大体:流れ造りで神社建築中最も優美なもの。桧皮葺一間一面の建築。大八幡(本宮)小八幡(若宮)の二社がある。大八幡は奥行が2尺位大きい。彫刻は日光のように細かい。四.組物:屋根に近く極彩色組物がある。五.向拝(拝む所):上下左右に飾り物がある。紅梁…彫刻をなし彩色がある植物模様を彫っている。蟇紅梁…本殿と向拝の間にやや垂れてある。彩色がある。概して陰陽を考えて彫ったらしく大八幡の模様草花は上向きに、小八幡の草花の先端は下向きになっている。象鼻…紅梁の先端が象鼻であるが、グリと称する曲線風になっている。六.蟇股:割に大きな蟇股を使っており中央を丸くぬいてその中に草花を彫り極彩色を塗ってある。向拝左右上下四つある。七.懸魚:屋根の側面に三つぶらさがっている。これは昔魚形であったらしく水に縁のあるものをつけて火災除とした。八.瓶束:懸魚と同様火災除けである。彩色がある。九.総模様:左右後の三面の板には極彩色の模様が施されてある。十.向拝の柱:面取り角柱。他の柱は丸柱で彩色と彫刻がある。 要するに大館市のみならず県北最古の建築物である造りの神社は辛亥の守護神でもあり、正面前庭には狛犬一対のほか秋田県一対の石像もある。』
手水舎。
手水石。
文化財指定の標柱が多いですね。ここまでアピールされると直接見たくなります。
おみくじ掛け。
拝殿。
拝殿向拝。
向拝神額。
拝殿内。
拝殿・幣殿・本殿鞘堂。
本殿鞘堂は立派な建物でして…
窓も高い位置にあって何も見ることはできません。
境内社の行者神社。
玉垣奉納記念碑(昭和10年5月5日)。
案内板「国指定重要文化財大館八幡神社神殿二棟」より…『現在(写真)の社殿はともに一間社流造、こけら葺の建築で軒をそろえて覆屋の中に西に面して建っていますが、正八幡宮本殿が若宮八幡宮本殿よりやや大きいこと、および彫刻、文様等の細部に違いがみられることを除けば似通っています。両社殿は、二棟が軒をそろえ並ぶ配置に特徴をもち、また、彫刻等の細部や各部に施された極彩色などにみるべきものが多くあり、小規模であるが秋田県内では17世紀に遡る数少ない本格的な神社建築であり、東北地方の近世社等建築を代表する遺構として価値が高いものです。』
正八幡宮本殿。
若宮八幡宮本殿。
なぜか時計がありました。
恐らく隣の大館八幡こども園の壁にある穴にはめていたものでしょう。
大館八幡こども園は工事しておりました。
境内からの眺望。
大館樹海ドーム。