天神山に位置します。御祭神は菅原道真。
創建は不詳ですが、盛岡砂子によりますと、寛永2年(1625)まで四ッ家町から花屋町への入口の町裏の土手の上に鎮座。寛文年中(1661-1672)の頃に紙町の中津川沿いの町裏に遷座。同6年に現在の盛岡八幡宮の地へ遷座しましたが、延宝7年(1679)八幡宮造営のために八幡山から天神山(現在地)に移されました。後の字天神・天神下などの地名の由来となります。石灯籠は元禄5年(1692)寄進。
境内にあった天台宗安楽寺が別当を勤めていましたが、明治初年の神仏分離令により廃寺。御神体は太宰府天満宮の別当寺安楽寺の飛び梅で作られた古作と伝えます。
天神山の下には遠野領主南部弥六郎の別邸があったといいます。また、天満宮裏坂の登り口には弁慶石と称する大石があり、裏坂下の西側には俳人として有名な平角の別荘梅屋敷があったといいます。元禄10年に献額された社号額は赤穂浪士裁断に助言を与えた輪王寺宮が揮毫したもの。
なお、かつて天神山には花垣館があり、盛岡城築城の頃には冬季の築城中止時の押えとして三上多兵衛を置き三上館とも称されました。
拝殿に沿革がありました。平成25年7月設置の新しいもの。
拝殿の屋根にいる狛犬。
めっちゃお尻上げています。
神楽殿。
撫牛。
倉庫と書いているから倉庫!(笑)
飛び梅。
天神噛り梅(別名歯型の梅)。
社務所の2階には資料室があります(参観無料)。
平安稲荷神社です。
子抱き狐。
台座には啄木の歌「苑古き 木の間に立てる石馬の 背をわが肩の月の影かな」とあります。
鹿島明神祠。御祭神は建御雷神。
南部氏が鹿島神宮より御分霊を盛岡城に祀ったもの。寛文元年(1661)に藩主重直公が新庄花垣館跡に御旅所として社殿を建立。
明治4年に焼失し、現在は石造りの祠と要石を残すのみです。旧町名の鹿島下はその史実を語るものです。現在地への遷座は平成14年10月25日。
左が要石で神霊来臨の霊石。