稲荷神社 (つがる市森田町大館)
かつての大館村。寛文12年(1672)に狄ヶ館溜池の池堤工事が行われており、この頃に当地の開田が進められたと思われますが、開村時期は不詳。由緒は不明。狛犬等もなくコンクリートブロック造の社殿があるのみです。かろうじてこの石碑で稲荷神社だとわかります。ブログ村ランキング参加中
View Article曹洞宗 大伊山 長円寺 (長圓寺・五所川原市飯詰)
本尊は釈迦如来。もと長勝寺末寺。貞享4年(1687)の検地帳に長円寺とみえます。創建の詳細は不明ですが長勝寺並寺院開山世代調によりますと、古くからあった庵に長勝寺14世聖眼雲祝大和尚が勧請開山と伝えます。飯詰村史によりますと寛文7年(1667)のこと。梵鐘(県重要文化財)。高さ127cm、口径77cm、厚さ8cm、重さ1000kgの青銅造。寛政年間の大砲鋳造、太平洋戦争の金属回収、火災等の危機を乗り...
View Article平成26年度 弘前市 宵宮日程
※日程が変更になる場合あり※数字は出店予定数5/15 山観普門院(西茂森)506/7 薬王院(笹森町)306/9 稲荷神社(和徳町)60・稲荷神社(南大町)56/11 金山神社(富田町)606/13 誓願寺・専求院(新町)506/14 閻魔様(新寺町)406/15 神明宮(小人町)50・七面様(独狐)406/17 開運稲荷(八幡町)406/19 十一面観音(新寺町)106/20...
View Article米田稲荷神社 (水虎様 / 五所川原市)
この地域ははじめ生田村と称しており、享保11年に米田村と改称しています。元文2年の検地帳に稲荷社地がみえます。元文2年に米田・末広両村で創立した正一位稲荷宮。御祭神は倉稲魂命。安永5年8月より俵元新田八ケ村の守護のため祈願所に指定され、明治元年まで公費をもって年々6月10日に祭祀を行っています。安永5年に大神宮大麻鳴絃御守俵元新田守護のため、飯詰組の御代官をもって御奉納仰せつけられています。明治6年...
View Article稲荷神社 (水虎様 / つがる市木造千代田)
かつての千代田村。4代藩主津軽信政の頃に開村し、はじめは萩野村と称していました。江戸中期の郷帳類には村名はなく、文政6年の新田開発功労者に対する恩賞の記事内に、享和初年から文政年間の間に成立した新開村として「千代田村...
View Article保食神社 (弘前市平岡町)
平岡町は宝永年間に郭内武家屋敷の郭外移転により藩士が移住したことによって成立。正徳元年に駒越町の新割町として町名がつけられます。由緒等は不明。御祭神は猿田彦大神、天鈿女命。社号標は昭和9年4月22日紀年銘で、高山松堂書。高山松堂(明治2-昭和34年)は弘前の書家で文堂の長男。津軽地方の社寺号をはじめとする多くの石碑を手がけています。狛犬は昭和11年のもの。狛犬キュート!保食神は馬頭観音とも同一視され...
View Article八幡宮 (鬼コ / 平川市柏木町)
かつての柏木村。寛永年間に斎藤小阿弥が浅瀬石川を取水する小阿弥堰を開削してから開発が盛んになりました。また、かつては柏木組の中心地となり、代官所が設置されていました。安永5年柏木組17か村の祈願所でした。鬼コがいます。「八幡宮(平川市柏木町):鬼コ」http://blogs.yahoo.co.jp/sadisticyuki10/3979715.html御祭神は譽田別尊。創立由緒不詳。社伝によりますと...
View Article浄土宗 清涼山 大泉寺 (五所川原市飯詰)
津軽八十八ヶ所霊場第6番札所。建保3年(1215)金光上人の創建。1215年ですって!凄い歴史がありますね。真向かいには長円寺の幸福観音像が見えます。本堂は宝形造り、茅葺、4間向拝付きの建物で歴史を感じさせます。鐘楼。本堂の茅葺が特徴的。もっと凄いもの発見。ゴジラ!お墓を守っているようです。大変精密に造られています。ブログ村ランキング参加中
View Article浄土真宗 光明山 法林寺 (五所川原市飯詰)
真向かいの建物も大変趣があり、歴史ある下之切街道沿い情緒を色濃く残している一画。正面には切妻、金属板葺きの四脚門。寛文12年(1672)創建。隣は長円寺。長円寺の涅槃像が見えます。境内左には高欄、袴付き、切妻の鐘楼堂があります。本堂は入母屋、金属板葺き、妻入り、2間向拝付。ブログ村ランキング参加中
View Article盛岡天満宮 (花垣館 / 盛岡市新庄町)
天神山に位置します。御祭神は菅原道真。創建は不詳ですが、盛岡砂子によりますと、寛永2年(1625)まで四ッ家町から花屋町への入口の町裏の土手の上に鎮座。寛文年中(1661-1672)の頃に紙町の中津川沿いの町裏に遷座。同6年に現在の盛岡八幡宮の地へ遷座しましたが、延宝7年(1679)八幡宮造営のために八幡山から天神山(現在地)に移されました。後の字天神・天神下などの地名の由来となります。石灯籠は元禄...
View Article盛岡天満宮の石馬(狛犬)・句碑など (盛岡市新庄町)
盛岡天満宮の狛犬です。かつては地面に置かれていましたが、昭和8年7月に思郷歌「病のごと 思郷のこころ湧く日なり 目にあをぞらの煙かなしも」の歌碑除幕式と同時に啄木の歌を刻んだ台座に据えられました。阿形の台座には「夏木立中の社の石馬も 汗する日なり 君をゆめみむ」。吽形の台座には「松の風夜晝ひびきぬ 人訪はぬ山の祠の...
View Article胸肩神社 (水虎様 / つがる市稲垣町福富)
田光沼の近く。御祭神は田心姫命、厳島姫命、湍津姫命。享保14年己酉年4月11日村中にて勧請。弁財天と称されていました。狛犬が愛嬌がたまりません(笑)明治6年4月穂積村闇おかみ神社へ合祀。明治8年2月復社。昭和25年9月19日国有境内地譲与許可。末社・庚申塔。馬頭観世音。女神型の水虎様がいました。こちらも水虎様かな?末社にはすべて枝豆が御供えされていました。参道の石畳に刻まれていました。ブログ村ランキ...
View Article水虎様 (小林・水虎様 / つがる市木造)
古田川排水路沿いにあります。住所は大畑と永田の間くらい。河童型が2体。色合いが不思議。手足と顔と衣装が赤。他が青です。地肌はどっちだ?(笑)キュートなお顔立ちです。っていうか猿にしか見えません。近くには庚申塔などがありました。猿田彦大神と天鈿女乃命。保食大神。ブログ村ランキング参加中
View Article稲荷神社 (つがる市森田町下相野)
御祭神は倉稲魂命。柴田バイパス沿い。木造柴田との境目ほどに位置します。由緒等は不明です。かなり小さな狛犬一対。阿形はほとんど原型を留めていません。ブログ村ランキング参加中
View Article稲荷神社 (つがる市木造柴田)
御祭神は倉稲魂命。寛政年間(1789-1801)に倉稲魂大神を勧請し、氏神として崇拝。その他の由緒詳細は不明。庚申塔と末社。ブログ村ランキング参加中
View Article水虎様 (つがる市木造三ツ館)
つがる市役所三ツ館コミュニティセンターはすの館前には大きな溜池があり、その畔に鳥居がありました。一の鳥居は立派なものでした。一の鳥居から水虎様までは距離があるので、かつては何らかの神社(十和田信仰とか)があったのではないかと思わせますが詳細は不明。赤い鳥居。水虎様の祠。『水虎様への旅~農業土木文化の時空』にも未掲載の水虎様。真っ赤な河童型です。おかっぱかっぱ。小さな狛犬もおりました。ブログ村ランキン...
View Article諏訪八幡宮 (弘前市高杉)
正徳元年寺社領分限帳によりますと諏訪明神宮とあります。弘藩明治一統志によると高杉氏によって祀られたとあり、祭神は健御名方命・応神天皇・神功皇后・武内宿禰。明治初年の国誌によりますと、明治5年に加茂神社に遷したとあります。青森県神社庁によりますと次のように由緒がありました。「諏訪八幡宮は天ケ崎という所に小祠ありて、その創立不詳なれども正和年中、高杉隆左衛門居城取立の砌由緒之ある旨にて、諏訪八幡宮と号し...
View Article月夜見尊 (弘前市南富田町)
柴田高校の前に月夜見尊碑があったのを思い出して向ってみました。この辺りはこの10数年ですっかり変貌を遂げました。柴田高校前の緑で囲まれた地域はかつては広大な空地で、更に川沿いの緑で塗り潰した部分は空地というより雑木林に近い感じでした。黄色の線が主に学生が利用していた裏小路。学生が非常に多い道路だったため、いつの間にやら広大な空地内にも柵を破って学生が勝手に作ったであろうショートカット自然道ができあが...
View Article日枝神社 (弘前市青女子)
ありそうであまりない鳥居の色。ありそうであまりない鳥居の曲線。貞享4年検地水帳によりますと青女子には大蔵大夫抱の八幡社及び甚之丞抱の薬師堂、山王堂があります。この山王堂は地内桜苅の日枝神社であり、御祭神は大己貴神、天穂日命、事代主神。貞治3年(1364)大和国南都の田村作ノ丞が建立。歴史ありますねぇ。永正年間(1504-1520)、大浦光信が再建と伝えます。明治6年村社。明治初年の国誌によりますと、...
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