御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、少名彦神。
菅江真澄が権現崎に立つ飛龍権現という神の祠について触れていますね…大嶋や小島見るめのいと涼し磯松風の吹となけれと…。
当初は飛龍大権現を祀る飛龍宮で、山全体が修験者の聖地ともいわれました。
脇侍には航海の神として木造の徐福像(高さ6.5cm、一木造り)が祀られます。明治3年に神仏分離によって尾崎神社に改称。徐福像も少名彦神として祀るようになります。
創建は不詳ですが、大同2年(807)、明暦2年(1656)、宝暦9年(1759)などの説があります。恐らく明暦2年創建、宝暦9年再建じゃないかな。ちなみに青森県神社庁によりますと、「延宝8年(1680)起源、記録なし。宝暦9年(1759)尾崎大明神と称す。」とありました。
また、由緒として「獅子のように突出した権現崎の頂上に鎮座、人皇7代孝霊天皇72年秦の徐福、東日流の尾崎(権現崎)漂着せんが、後ち国に帰りて死せり。其の追慕のため観世音1体、徐福の霊を勧請し、熊野大権現として祭りしものと伝えられる。後ち飛龍大権現と改む。天保2年8月17日藩主信順公御参詣遊ばされ、御盛荘金百疋を捧呈せり。」とあります。
例大祭は8月16日。社殿の中で大漁祈願祭が行われ神楽が奉納されます。奉納神楽のクライマックス天王舞では、大漁と航行安全の願いを込めて神官が社殿の天井に5本の矢を放ち、東西南北及び中央にすべての矢が刺さると縁起が良いとされます。
参拝するのは登山並みに大変ですし、社殿もボロボロだけど、現在も漁民の崇敬は非常に篤い神社なのです。
『青森の伝説』より…『海に突き出た権現崎にある尾崎神社には、熊野権現のほかに、古代中国の秦の徐福を祭るという。徐福は、わが国孝霊天皇の73年に、中国から不老不死の薬を求めて渡来したといわれる。権現崎の下に、千丈澗という広い船泊まり場がある。昔、丹後の国(京都府北部)の船が、ここに卵をいっぱい積んではいって来た。尾崎の神様は卵が嫌いなので罰があった。神様の「出ろ、出ろ」という声が他の船にはよく聞こえたので、急いで船を出した。しかし丹後船には聞こえなかった。そこへ岩が転げ落ちて来て、船は沈んでしまった。近年までその帆柱が海中に見えていたという。』
※権現崎については『津軽ふるさと散歩』(小館衷三)にも記述があります。
由緒案内。
階段が崩れている展望台・東屋。
植樹記念碑。
句碑『大嶋に雲起こりけり夏の昼 鳴月』※鳴月=対馬藤重
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