蓬田村阿弥陀川汐干にある稲荷神社。御祭神は宇迦廼御魂命、猿田彦命、大宮能女命。
阿弥陀川村は当初は蓬田村の一部でした。
正法院の竜沢山正法院歴住年代考によりますと寛文2年3月には未だ蓬田村で、阿弥陀川村と改称するのは50年後のことであると記しています。元禄3年には後潟組に属しています。
明治6年から同8年までは後潟神社に合祀されていました。また、明治23年8月に腐朽のため、本殿及び拝殿を改築しています。
狛犬。
獅子の子落とし…ならぬ、獅子の子潰し(笑)
こちらの狛犬も個性的。
稲荷神社のすぐ横を流れる阿弥陀川です。
浄土宗の開祖法然上人の弟子金光上人が3日3番続けて「阿弥陀如来が汝津軽の外ヶ浜に至れば必ず逢わん」という夢を見て、承元4年(1210)に津軽外ヶ浜蓬田村に辿り着き、毎晩光を発するという川を掘り探したところ阿弥陀如来像が出てきたと伝えます。また菅江真澄も次のように記しています…『むかし、金光上人が修行しておられたとき、夢のお告げがあって、外が浜の蓬田の部落の小川のなかから阿弥陀仏が得られた。その像は、内が空洞になっており、ものがはいっていて、ふりうごかすと音がした。仏のあった流れをあみだ川といい、いまもある。上人はこの中野村(浪岡の東)で亡くなられた。寺を遍照山西光寺といったが、正保3年(1646)弘前にうつして、行岡西光寺といっている。そこに金光坊の塚があったが、まことのものはこの村にある西光庵のうしろの岡辺にある。(中略)金光坊に法然上人がたまわった阿弥陀仏は、そのむかし浪岡の中野村にあったのを、人々の手から手にわたり、仲村というところから修行者の法師が得て、藤崎にまもってもってゆき、その村に寺を建て、金光山源空寺と称したが、いまもなおそこにあるという。』
阿弥陀如来像は弘前市新寺町の西光寺に現存しています。
阿弥陀橋にあった地蔵堂。