五百羅漢跡・羅漢禅寺 / 新大橋 (東京都江東区大島)
都営新宿線西大島駅前です。天恩山五百羅漢寺は現在目黒区下目黒にあり、300体以上の羅漢像を祀っています。こちらは五百羅漢寺の跡地になります…って、目の前に羅漢禅寺?!『五百羅漢は、元禄8年(1695)に松雲元慶禅師により創建された黄檗宗の寺院です。禅師は貞享年間(1684-88)に江戸へ出て、元禄4年(1691)から木造羅漢像を彫り始めました。元禄8年、将軍徳川綱吉から天恩山五百阿羅漢寺の寺号と60...
View Article豊崎稲荷神社 (水虎様 / つがる市豊富町)
車力村になります。津軽藩第11代順承公の時に御城内に奉祀してあったものを豊富村に御遷座。安政4年(1857)勧請と伝えます。豊富村豊崎宮社地境内林除地元帳によりますと社地2反余、境内林1町3反余が除地とされています。御祭神は宇賀魂命。安政4年の豊富村豊崎宮社地境内林除地元帳によりますと、社地2反余・境内林1町3反余が除地。社殿前で出迎えてくれた大小様々な狛犬の皆様。入口にある開村百年碑。豊富産土神講...
View Article高野山真言宗 高野山 青森別院 (青森市桑原)
津軽弘法大師霊場会第16番札所。昭和23年に織田隆弘師が創建した比較的新しい寺院。大師堂とも呼ばれています。元々は青森市茶屋町にあり、昭和53年に桑原の地を譲り受けた後、平成10年に旧茶屋町より高野山青森別院を移転復興。青龍寺伽藍が生まれる種となった青龍寺の親寺。御本尊弘法大師他、稚児大師、十一面観音菩薩、大日如来、阿弥陀如来、地蔵菩薩、不動明王、聖天などが安置仏としてあります。たのもしや...
View Article平淵大明神 (五所川原市中泉)
御祭神は中泉平淵大明神。北部の畑に古くからある泉を富士明神として祀ったところ、参詣する者が群れをなしたそう。そのため宝暦5年に藩から埋潰すように命じられています。しかしながら同泉は以後も参詣する者が多く、眼病に効く白淵明神として知られたといいます。社殿にあった御由緒によりますと、創建は宝暦(1754)もしくは元禄年中(1688-1704)との伝説があり、数百年前から続く行事として毎年旧4月21日の例...
View Article三吉神社 & 相馬町観音堂 (青森市港町)
かつては港町ではなく、相馬町と呼んでいたそうです。弘前藩士の相馬という人物が開いたことに由来するそうで、当初は移住民に次男や三男が多くオンジ町とも呼ばれたそう。オンジとは津軽弁で「次男」という意味。鳥居の額束は石製で三吉大明神とあります。最初は石製鳥居だったのでしょう。開町百周年記念碑(平成3年10月18日相馬町町会)と相馬町開町紀念碑蕪拓(大正10年12月)。社号標。社号標の横には「みのるほど...
View Article八代羽黒神社 (弘前市八代町)
貞享4年検地水帳によりますと、かつての船水村に市太夫抱えの羽黒堂と薬師堂、及び村中抱えの熊野堂があります。薬師堂は現在の少彦名神社、熊野堂は外瀬の熊野宮(御祭神は)、そして羽黒堂は当八代羽黒神社を指します。御祭神は倉稲魂命。藤代の稲荷神社の由緒によりますと明治初期に一時八代村より羽黒神を合祀とあります。青森県神社庁によりますと、「創建は不詳であるが、宝永2年(1705)の社堂縁起には「船水村羽黒権現...
View Article石渡羽黒神社 (弘前市)
石渡にあります羽黒神社です。由緒等は不明。貞享4年検地水帳によりますと、石渡村中抱えの観音堂がありますが、これが羽黒神社を指すものかはわかりません。末社の棟札には昭和37年紀年銘の南無妙法蓮華経南無地蔵菩薩などがあり、現在もなお観音堂であったことを強く匂わせます。すぐ裏手には「八代羽黒神社」があります。参道は別であり、石渡羽黒神社と八代羽黒神社の境目がちょうど両町の境となっています。安政2年(185...
View Article円筒分水工 (南津軽郡藤崎町小畑)
かつての小畑村は貞享4年検地水帳によりますと、小字に岩井・舟橋・舟岡・浅田があり、旧羽州街道沿いに位置します。天保2年には常盤組代官所が置かれています。国誌によりますと、明治より「土地中之中、田多し」とあり、昔から田んぼの多い地域だったことがわかります。この日は水少なめでした…がっ!!毎度のことながら…おちると死にます。「円筒分水工 (弘前市石川)」「円筒分水工...
View Article幽霊(ゆうれい)坂・ニコニコ坂 (東京都品川区南品川)
ゼームス坂から小路に入ると幽霊坂(坂上)があります。『道幅が狭く、途中でかぎ型に曲がっています。かつては道の両側に大きな樹木がしげっていて、うす暗く寂しい場所だったために、この名称がついたといわれています。』なぜか近所の住人からはニコニコ坂と呼ばれています。ブログ村ランキング参加中
View Article保食神社 (鼻和馬頭観音堂 / 弘前市鼻和)
鼻和村は元禄3年(1690)には高杉組に属しており、村位は中。地内に馬頭観音堂があり、これが現在の保食神社。明治初年に神仏分離により馬頭観音堂は廃絶し、その後保食神を祀って保食神社と改称して復活。境内のエゾエノキは樹齢600年といわれ、津軽地方では最大とされていました。現在その面影はありませんが…。境内にあった由緒案内看板。『保食神社の祭神は宇賀能売神であり穀物の神であるが、元馬頭観音であった。明治...
View Article袖摺稲荷神社 (東京都台東区浅草)
御祭神は素戔鳴尊、稲倉魂命。「今より約800年前、源頼朝卿が伊豆に蟄居のときのこと、兵糧でもある米穀に乏しくならぬよう稲荷の神体を彫刻し、豆州北条に一社を建立したのが当社のおこりと云われています。後に伊勢新九郎(後の北條早雲)が小田原城に移った際に、その神体を城内へ遷座したところ多くの奇端が顕れたといいます。このことから開運稲荷と尊称されました。小田原城落城に至り、この稲荷に信心あつかった小西半右衛...
View Article鍋田稲荷神社 (東津軽郡今別町鍋田)
かつての鍋田村。当村の成立は不詳。鍋田稲荷神社の御祭神は保食神。青森県神社庁HPによりますと…『貞享元年(1684)津軽郡中新検地が始ったが、貞享3年(1686)惣検地終了後、新たに津軽領内が25組に分けられた。後潟組はそのひとつであり41ヶ村で構成する。今別では、今別村、大川平村、浜名村、鍋田村、一本木村の5村である。明暦年間(1655頃)から新田開発が奨励され、この中で鍋田村ができたと思われる。...
View Article神明宮 (つがる市富萢町)
享保11年に広須新田の泉山と牛潟村の一部を開発して成立したかつての富萢村です(2005年まで車力村の一部)。結構きつい石段。十三湖の畔に位置します。十三湖近郊には神明宮が多い気がしますね。伊豆権現や深沢の地蔵堂とも近いのですが、由緒等は不明です。御祭神は天照皇大神。境内から十三湖を眺めることができます。ブログ村ランキング参加中
View Article阿弥陀川 & 稲荷神社 (東津軽郡蓬田村)
蓬田村阿弥陀川汐干にある稲荷神社。御祭神は宇迦廼御魂命、猿田彦命、大宮能女命。阿弥陀川村は当初は蓬田村の一部でした。正法院の竜沢山正法院歴住年代考によりますと寛文2年3月には未だ蓬田村で、阿弥陀川村と改称するのは50年後のことであると記しています。元禄3年には後潟組に属しています。明治6年から同8年までは後潟神社に合祀されていました。また、明治23年8月に腐朽のため、本殿及び拝殿を改築しています。狛...
View Article椿森神社 & 名無坂など (東京都渋谷区元代々木町)
地図に椿森神社とあったので向かってみました。すぐに立派な門は見つけたのですが…。門には「神道新教東京教會」「宗教法人瑞穂大学院」「宗教法人椿森神社」とあり、鳥居はありません。とりあえず向かってみます。石段の雰囲気は神社っぽい。しかし石段を登ったところには門があり…門にはインターホンがついています。石燈篭なんかは見えたのですが、どうやら入ってはいけない雰囲気満々。門も学校みたいだったしなぁ…ってことで...
View Article高野山真言宗 浅虫高野山 陸奥護国寺 (裸島 / 青森市浅虫字山下)
津軽弘法大師霊場第18番札所。浅虫の入口にある善知烏トンネルを抜けてすぐ右手の谷地山麓に鎮座。元々は和歌山県の高野山遍照院津軽寺の別院で、昭和11年に開山。後に遍照尊院の末寺であった岡山県の豊楽寺向井坊を委譲され、一時は向井坊と称しましたが、昭和15年陸奥護国寺と改称し「お大師さん信仰」のお寺として現在に至ります。裏山には八十八ヶ所山廻霊場があります。寺宝には毛綱があります。八十八ヶ所霊場を開こうと...
View Article潮江院 & 摂心院 & 華厳院 & 済生院 (東京都江東区三好)
【浄土宗 潮江院】開山照誉光心。寛永6年(1629)創建。万治元年(1658)に当地へ移転。お城みたいな堂宇ですね。延命地蔵尊は関東大震災で消滅した地蔵尊の代わりに昭和10年に祀られ、東京大空襲でも無傷だったことからその名が付けられました。【浄土宗 摂心院】明暦年間(1655-1657)に創建。元は霊巌寺の学寮でした。【浄土宗 松林院...
View Article清水天満宮 (青森市清水)
松前街道沿い、かつての清水村。貞享4年検地水帳に明神社地(境内林1町1反余)と稲荷社地が見えます。明神社は当天満宮。御祭神は菅原道真公。青森市内は天満宮が少ないですね。創建不詳。寛文13年(1673)・宝暦3年(1753)再建。末社に恵日宮・祇園宮・惣染堂がありましたが後に廃社。明治6年から同8年は奥内村三社神社に合祀され、後復社。隣には末社。権現社。こちらはわからず。こちらの比較的新しい建物は神馬...
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