青森県天然記念物指定。この付近は赤土(第二酸化鉄・紅殻)で、藩政時代には顔料として採掘され、領内の神社仏閣の赤い塗料、例えば岩木山神社の大堂や山門などの修復にも用いられたそうです。特に徳川家光公の代、日光東照宮にここの朱色が使われたことで大変有名になり、津軽藩はこの赤岩を大阪まで搬出していました。
物故者霊供養之塔の後方に鳥居が見えます。
山神社(赤根沢神社)でしょうか。
創建は寛永5年(1628)、津軽藩2代藩主信牧が茜沢の守護神として建立。
御祭神は山神。
この神社の周囲にある採掘跡は今も洞窟となって残っています。
※茜沢では紅殻(二酸化鉄)を産出し、津軽一統志には「赫土<一名土朱奥州出最上之品 節用集頭書等に見たり>、於外浜有所赤赫沢、此山土甚赤矣、連日及水製而其用類朱辰、住歳武江紅葉山野州日光山御造営之砌被献之、其用世巳知、其后臨時之進献及数度」とあります。
津軽歴代記類の貞享3年3月12日の条に「赤丹沢之赫土、公儀へ献上」とあります。藩も朱石(紅殻)を守るために番所を設置。嘉永3年の松浦武四郎の東奥沿海日誌によりますと、「砂森村、入口に小流有、惣て漁者也、又檜山多し、此処も小湾にして八百石以下の船澗によろし、又坂を越て下る処を茜沢と云、小流有、急流也、此水至て赤し、別て雨後には色能きよし、按るに此沢の上は皆赤土也、羅山先生の文集に朱水と書るよし聞り、実に海内無双の土也」とあります。