稲荷坂です。
上野公園側から境内へ下るの稲荷坂。不忍池川から境内へ上るのが忍坂。
稲荷坂標柱より。
『花園稲荷神社は「穴稲荷」「忍岡稲荷」とも呼ばれ、創建年代は諸説あるが、江戸時代初期には創建されていた。これにより江戸時代から「稲荷坂」の名がある。享保17年(1732)の「江戸砂子」にその名が見え、明治29年(1896)の「新撰東京名所図会」には「稲荷坂 忍ヶ岡の西方に在りて、穴稲荷社へ出る坂路をいふ。』
下から見た方が高低差がわかりますね。
御祭神は倉稲魂命。
創建不詳。古くからこの地に鎮座し、忍岡稲荷という名称で、石窟の上にあった事から俗称、穴稲荷とも云われていました。
承応3年、天海大僧正の弟子、本覺院の住僧、晃海僧正が、霊夢に感じ(家光の命とも言われている)廃絶していたお社を再建し上野の山の守護神としました。幕末、彰義隊の戦では最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られています。
明治6年、岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家によって再興されて、花園稲荷と改名。
五條天神社が現地に遷座した際、社殿を南面して造営し神苑も一新。旧社殿跡はお穴様の場所。
穴稲荷案内板より。
『正しくは忍岡稲荷と云い花園稲荷の旧跡である。左奥のお社は、寛永の初め天海が寛永寺を草創の際に忍ヶ岡の狐の住み處を失った事をあわれみ一洞を作りその上に祠を建てて祀ったものと云われている。』…手書きの「も」(笑)
古書には弥佐衛門狐と記されています。