地図には野中神社とありました。
蓮正院から程近い場所です。
御祭神は譽田別尊、倉稲魂命。
板柳誌によれば野中村に慶安5年もしくは承応2年勧請と伝わる稲荷宮があります。
明治6年に稲荷宮を境村八幡宮へ合祀しましたが、参詣に不便なために引き上げて、明治8年に野添村八幡宮と合祀して野中八幡宮と称しました。
一方、野添村の八幡宮は承応3年もしくは寛文4年の勧請と伝わります。村役人の提出した天和書上帳を基礎とした貞享惣検地の水帳に 「野添村八幡宮寛文四年在建立」 とありますが、 延宝9年営宮神主山行人之覚には表れていません。
延宝8年8月の大洪水で壊れ、 天和から貞享にかけて再建されたものとも考えられます。 稲荷神社と同じく明治6年に境村八幡宮へと合祀し、以下同様。明治9年に野中村の一部となります。
庚申塔。
三上勇蔵翁顕彰碑。「従七位勲五等瑞宝章 剣道範士」とあります。初代青森県剣道連盟会長らしいです。