「明治12年(1879年)私設消防組を組織して屯所を設けたが、大正2年(1913年)の大火によって焼失、その後、町民有志に新築運動を呼びかけ、大正11年(1922年)10月1日落成したもので、木造5層建、間口3間半、奥行3間、建坪10.5坪、工費2,774円、町内第一の規模を有し、鐘楼のついた火の見櫓である。」
2,774円…大正時代ですから当時は相当な額なんでしょうね。500~700万くらい?
外壁は下見板張り、縦長の窓、正面にはファンライトと呼ばれる半円形の欄間風の意匠、1階軒下には蛇腹風の意匠が施され、当時の洋風建築の要素を取り入れています。平成15年に青森県文化財(重宝建造物)指定されています。
第一分団屯所前の通り…対の坂が素敵です。
程近い場所にこのような場所もありました。五戸町指定文化財。立派な石碑です。ロープが張ってあり、門の中へは入れませんでした(※見学可能かどうかもわかりませんでした)。
「明治天皇行在所(三伝)」
五戸には明治天皇東北御巡幸(明治9年7月11日宿泊・14年8月昼食)の際、行在所として三伝家が知られている。昔は一部二階建ての住家だったらしく、行在所として使用した二室は、その後幾度か修理をしたが、当時のまま保存管理されている。部屋には明治天皇を写真にした掛図、行在所の立札2基が床の間に飾られ、4隅の柱にはつり輪があり、明治天皇がつり床をつった場所と伝えられている。入口には昔の門と明治天皇御巡幸記念碑が建っている。また会津藩松平慶三郎(容大)が3ヶ月間斗南藩仮藩庁宿舎として住んだ部屋もある。
「野月のケヤキ」
上大町野月の三浦功邸(三伝)の庭にケヤキの巨木がある。夏には葉が繁り木の下は涼む傘の役をつとめている。このケヤキは樹齢約480年、胸高直径115cm、樹高21mの古木である。稲荷神社境内から野月の三伝にかけて、一直線に風よけのため植えられたらしく古老の話では切り株がとび石のように残っているという。
稲荷神社境内までそんなに距離があるわけではないので…切り株が残っている件については古老の話頼りではなく、リサーチしようよ(笑)