下福原稲荷神社 (つがる市木造下福原字上吉谷)
社号標裏。御祭神は宇賀魂神。正徳4年(1714)、村中産土大神として建立。明治6年4月村社。下福原村は工藤家2代目弥三兵衛が寛文4年に開村。本殿。こちらの祠には馬頭観音像が安置されていました。庚申塔。名木オオバボダイジュ。ブログ村ランキング参加中
View Article荒川稲荷神社 (青森市荒川)
御祭神は宇賀能御魂命。草創年不詳。享和3年寺社領分限帳、安政2年神社書上帳によりますと慶安4年(1651)建立の稲荷宮。以下、青森県神社庁より。慶安4年、村内品川に村中の願いにより、火難消除、五穀豊穣のために建立されました。貞享4年の検地帳には六間に三間の稲荷社地と記されています。安政2年の神社微細社司由緒調書上帳には社地五間に六間とあります。こちらには馬頭観音と賞味期限が11年6月14日までのRI...
View Article廻堰八幡宮 (青森県北津軽郡鶴田町)
御祭神は譽田別尊。津軽富士見湖の畔(北)に位置します。貞享4年の総検地後、遣に代わって新たに設置された行政区域25組の内、藤代組内の廻堰村。延宝4年(1676)3月勧請。安政2年神社書上帳によりますと創立年代不詳。貞享2年(1685)村中にて再建。明治6年4月村社。明治40年4月29日神饌幣帛料供進神社指定。末社と庚申塔。3つの摂社。中を覗いて見ると十一面観音…七面天女っぽい何か…こちらは牛頭天皇や...
View Article稲荷神社 (平川市小和森)
かつての小和森村。天保4年、上新田・下新田からなる新田村のうち、上新田村に御伝場新田を加えて成立。稲荷宮は由緒不詳ですが、元々は稲荷山徳懸寺という真言寺院であったと伝わります。本殿。石碑が3つありました。地元力士の引退記念碑。表情が穏やかに見えますが…青面金剛かな。紀年銘安政2年の庚申塚。ブログ村ランキング参加中
View Article湯島聖天 天台宗 心城院 (柳井堂・東京都文京区)
湯島神社の男坂を下ったところにあります。男坂下にある復興地蔵尊は大正12年の関東大震災で亡くなった方々の冥福と地元の復興・発展を祈り、当時の町会長を中心に心城院の協力の下で建立されたもの。その後の東京大空襲でこの町会が一軒の焼失もなく免れたことから、これはお地蔵様の御加護によるものと人々の心に深く刻まれました。戦後復興の兆しが見えてきた頃のある朝に突然現れた由緒不明の尊像と共に、近隣の大切な守護尊と...
View Article山神神社 (五所川原市飯詰沢田)
由緒等は不明です。明治4年に新城青森間の道路が開通して油川の人馬の往来が急激に減ったことにより中世以来の宿場町(油川は松前街道の起点であり、羽州街道の終点でもあり、海陸交通運輸の重要な拠点でした。)が衰退していきます。その打開策として明治20年に西田安兵衛が提唱して、油川から飯詰村(五所川原市)に至る飯詰街道を切り開きました。これが現在の津軽あすなろライン(県道26号線)の原点であり、当神社はあすな...
View Article永福神社 (招魂堂 / 五所川原市柳町)
御祭神は菅原道真公。何やら普通の神社と雰囲気が違うと思ったら…招魂社ですね。戦前の昭和10年代に旧五所川原町、栄村、長橋村、七和村、松島村、飯詰村、三好村、中川村、毘沙門村、長富村、小曲村、梅沢村出身の英霊を祀る招魂堂として創建。終戦を迎えて進駐軍による廃社の危機を感じた関係者が、当時旧五所川原町本町に鎮座する旧郷社神明宮の境内社の三社宮に祀られていた菅原道真公の御神霊を奉遷し、同神を主祭神とする神...
View Article稲村崎神社 (つがる市木造中館)
御祭神は倉稲魂命、大宮姫命、猿田彦命、大己貴神、少名彦神。勧請年月日不詳。すぐ近くにもう一つ稲村崎神社があります。こちらの稲村崎神社は青森県神社庁に加盟されているようです。元文元年の検地帳によりますと上中館村に稲荷社地が見えます。下中館村には寛文6年再建という薬師堂があり、神仏分離により弘前最勝院に仏像が納入され、同5年に洗磯崎神が上中館村稲荷神社に合祀されています。明治6年(1873)に村社。樹齢...
View Article稲村崎神社 (薬師堂・つがる市木造中館)
うっ、西日がっ!!すぐ近くの稲村崎神社と同じならば、御祭神は倉稲魂命、大宮姫命、猿田彦命、大己貴神、少名彦神。額束の雰囲気もそっくりです。狛犬は似ていませんね。勧請年月日不詳。元文元年の検地帳によりますと上中館村に稲荷社地が見えます。下中館村には寛文6年再建という薬師堂があり、神仏分離により弘前最勝院に仏像が納入され、同5年に洗磯崎神が上中館村稲荷神社に合祀されています。猿田彦大神など。明治廿六癸巳...
View Article稲実八幡宮 (五所川原市稲実)
御祭神は誉田別命。細長く屋根なしの両部鳥居。創建年代不詳ですが、寛永年間(1624-1644)勧請とも伝えられています。稲実村はかつての岡田村で寛永年間以降に開発・成立した村だからでしょう。明治6年4月広田神明宮に合祭、明治8年2月復社。明治9年12月村社。明治44年10月本殿造営。大正2年9月神饌幣帛料供進指定神社。昭和13年10月拝殿造営。昭和25年1月国有境内地無償譲与許可。昭和49年4月幣殿...
View Article保食神社 (馬頭観世音 / 弘前市鳥井野)
岩木町誌によりますと、鳥井野村に保食神社があり、馬頭観音を祀っているそうです。境内には文化3年銘(1806)の百万遍供養塔があり、現存するものとしては津軽地方最古のものと伝えます。「奉祈百万返供養塔」「文化3年丙寅五月吉日」とありました。とても保存状態がいいですね。しかも大きいです!耳や足は補修され、大きな鈴をつけている奉納馬。奉納馬は昭和28年旧3月25日。こちらは庚申供養塔。紀年銘は裏にあります...
View Article浄土真宗 正行寺・とうがらし地蔵 & 真宗 西善寺 (東京都文京区向丘)
文祿2年(1593)2月10日創建。開基は了圓法師、俗名を竹原主水正種善といいます。代々竹原氏は、肥後国阿蘇家の一族の武将でした。戦国時代に島津勢との激戦の末敗北。竹原主水正種善は筑前二日市に辿り着き、戦乱の世に無常を感じて出家。時に天正11年...
View Article粟嶋神社 (青森市油川浪岸)
一の鳥居横の松。社号標。元和元年(1616・もしくは元和3年)願主平井治左衛門が家内安全の為創建と伝えます。一時廃社となり、明治元年に再建。御祭神は少彦名命。手水舎を守るのは猫中尉。手水舎は守らなくていいいけど(笑)暑い日でしたからね…寝言で「ニャーニャー」言ってました。ブログ村ランキング参加中
View Article鶴屋稲荷神社 (五所川原市)
境内案内板(平成26年7月建立)の説明が非常に丁寧だったので自分では何も調べていません。以下案内板より。御祭神:『稲荷大神。伏見稲荷大社の御祭神、宇迦之御魂大神・佐田彦大神・大宮能売大神・田中大神・四大神の総称。五穀豊穣・商売繁昌・産業興産・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神です。』由緒:『鶴屋家代々の徳行に加え、6代目原庄右衛門基札は、凶作への備えと農民救済事業として私財を擲って7町歩の沼地を開...
View Article真言宗国分寺派 成田山 大善院 (五所川原市新町)
津軽弘法大師霊場第13番札所。津軽八十八ヶ所霊場第87番札所。カレーハウスむら田のすぐ近く。誘惑に負けます。かつては南津軽郡浅瀬石高賀野にあって高賀山大善院正伝寺と号していました。浅瀬石城主千徳大和守は慶長2年(1597)に津軽為信に攻められ落城し、大善院は浅瀬石城落城のあと、為信により堀越に移されて、津軽藩代々の祈願寺として信仰を集めてきました。歴代住職は中興開山照円、照猛、照範。高賀山大善院時代...
View Article愛宕神社 (五所川原市下岩崎)
日が沈んでからの訪問となり、少々ブレ気味です。御祭神は軻遇突智命。創立年月日不詳。寛永年間に藤右エ門という者が、金神林の大木の根元で奇異の三石を発見。霊夢に依って三宝荒神と崇め奉りました。貞享4年検地水帳には荒神社地とあります。明治4年愛宕神社に改称。明治6年4月毘沙門鹿島神社へ合祀。明治8年2月復社。明治9年12月村社。明治42年8月27日指定神社に列格。末社。馬頭観音かな。ブログ村ランキング参加中
View Article奥富士出雲神社・稲荷神社・白雲神社 (岩木山神社 / 弘前市百沢)
岩木山神社です。何度訪れても素敵な場所です。今回は未だ紹介していなかった摂社・別社等を紹介します。記事:『岩木山神社』記事:『岩木山神社社務所...
View Article稲荷神社 (鶴田町木筒)
岩木川沿いにあります。岩木川を背に境内へ降りていく感じ。かつての木筒村。古くは桑野木田村と称しており、貞享4年に改めたと伝えます。また、その時まで木筒村と称していた村は野木村と改称。御祭神は倉稲魂神。稲荷神社は慶長19年4月創建。明治6年4月に廻堰八幡宮に合祀、翌7年12月に復社。末社と庚申塔。ブログ村ランキング参加中
View Article五戸町消防団第一分団屯所・明治天皇行在所(三伝)・野月のケヤキ (三戸郡五戸町字野月)
「明治12年(1879年)私設消防組を組織して屯所を設けたが、大正2年(1913年)の大火によって焼失、その後、町民有志に新築運動を呼びかけ、大正11年(1922年)10月1日落成したもので、木造5層建、間口3間半、奥行3間、建坪10.5坪、工費2,774円、町内第一の規模を有し、鐘楼のついた火の見櫓である。」2,774円…大正時代ですから当時は相当な額なんでしょうね。500~700万くらい?外壁は...
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