弘前城本丸を紹介していきます。
まずは下乗橋です。
内濠を隔てて本丸と二の丸に架かる下乗橋。
藩政時代には二の丸側に下馬札が置かれていたのが由来となっています。築城当初、橋の両端は土留板でしたが、文政11年(1811)に石垣に直しました。
以前の擬宝珠欄干は十二支をかたどったものでした。
現在の擬宝珠には大正3年とあります。
天守から見た下乗橋。
下乗橋を渡ると武者屯御門跡。
長勝寺構の黒門と同様の高麗門形式で、門扉は2枚扉になっていたといいます。
門の内側には番所があり、さらに門の両脇に袖塀があったことが古い写真からわかっています。
二の丸と下乗橋で区画され、本丸に連絡路で続くこの一郭が「武者屯」で、合戦の際には大将が軍装を整えて号令を発する場所となっていました。
本丸御殿玄関礎石。
この礎石に玄関の柱が建てられていました。御殿は日常の事務を行う表と、藩主が政務を行う中奥、藩主の日常生活の場の大奥に大別されます。
また、本丸には能舞台や御武芸所など敷地の7割ほどに各種の建造物がありました。
本丸井戸跡。
本丸内には数か所の井戸がありましたが、現在は確認できるのはここだけです。
井戸は石や砂で埋められています。
安山岩をくり抜いた堅牢な造りで、周囲は番所や塀が廻されていました。
在りし日の本丸井戸。
御滝桜です。大正3年に植栽されました。棟方志功が命名したとか。
1973年5月2日に最勝院五重塔、品川町の胸肩神社、そして弘前公園内の亀石と鶴の松にてスケッチ。
その際に「ニューヨークやワシントンの桜も見たがやっぱり弘前の桜が世界一だよ」と絶賛しています。
アイグロマツ(鶴の松)。
鷹揚園内随一の名木。老鶴形に仕立てられた美しく優雅な形をしているところから「鶴の松」と呼ばれています。
向かいの石垣の中心に「亀の石」と呼ばれる大石があり、「鶴の松」と並び称されています。
下には鶴の坂が見えます。
石垣の亀の石(2.5m四方)は亀の甲羅に形が似ており、鶴の松と対面することに由来するといわれます。
下白銀町付近の外濠にかつてあった大石、本丸の亀石、そしてこの蓮池の玄武岩を線で結ぶと一直線に北の方位を指します。
蓮池の玄武岩が亀の頭で、本丸の亀の石は甲羅、そして外濠の大石は尾を表して、これらを玄武に見立てたという一説があります。
これら3つ巨石はいずれも慶長15年(1610)から始まった高岡城築城の際にソリを使って持ち込まれたといい、亀の石は和徳もしくは目屋の山奥から切り出したと伝えます。
大正3年(1914)に植栽された弘前枝垂れ。
この樹は似た環境にある御滝桜よりも開花が3~4日も早く、花弁の枚数が7~8枚となり、不通のシダレザクラとは異なることから弘前枝垂れと呼ばれています。
ウラジロモミです。
9代寧親公の頃に日光から取り寄せたと考えられています。樹齢200年以上。
園内で初めて強剪定を施したシダレザクラ。
「サクラ切る馬鹿、ウメ切らぬ馬鹿」という諺の通り、かつてはサクラは切ってはいけないものと考えられてきましたが、このサクラをリンゴ栽培技術を参考に剪定したところ樹勢が回復したため、その後は園内すべてのサクラを剪定するようになりました。