御祭神は天之御中主神(妙見菩薩)、火産霊神、御年神、大年神、若年神、水波乃賣神、大国主神、倉稲魂神。
弘仁元年(810)第52代嵯峨天皇の勅命により勧請。征夷大将軍源頼義・義家父子が前九年・後三年両度の役で戦勝祈願に訪れたと伝え、伊澤氏(留守氏)を始めとする東北鎮護の国司、奥州藤原氏、伊達氏などから崇敬を受けてきました。
嘉応2年(1170)に藤原秀衡が再建。慶長年間(1596-1615)に伊達政宗が再興。寛永9年(1632)現社殿を初代水沢城主留守宗利(伊達宗利)が改築。1,518坪の境内には寛文8年(1668)紀年銘の石燈籠や水沢城主の留守宗利・宗直父子の墓所、源義家が安倍貞任を討った太刀を洗った場所と伝わる太刀洗川の碑、昭和49年9月に建立された留守宗利の銅像等があります。
狛犬一対。
燈籠。
ひっそりと建っている昔の社号標。
神池。
手水舎。
御由緒…『當社は未の妙見宮と尊崇之國土鎮護の神とす。祭神は天御中主大神を主神として七神を合祀す。人皇第52代嵯峨帝弘仁元年奥州三所の一として勧請せらる。第70代後冷泉帝天喜年中源頼義義家親子、勅命を奉じて安倍貞任同宗任を當地にて討つ決戦するや俄くに浦然たる豪雨為に陽光覆はれ雌雄を決せんとするも日没の如くにして相見ゆること能はず。両公當社に至り神殿に幣を奉じて天候の快復せられんことを祈念す。時余にして豪雨も去り霧又散じて陽光燦として輝く。両公再び戈を交え斯くして大勝を得たり。時に未の刻なりこれより未の妙見宮と云ふ。後嘉應年間に至り藤原秀衡公社殿を再建し、降って寛永元年伊達政宗公及び水澤城主留守宗利公共々に信仰篤く社殿を改築す。明治4年胆沢総社として郷社に列せられ地方の崇敬殊他篤く偉人才子輩出の因よなしたり。境内に瑞山神社在り。祭神は奥州総奉行従四位左近将監伊澤四郎家景公並に水澤城主宗利公及び代々の祖霊を祀る。』
日高囃由来碑…『日高妙見宮は弘仁元年の創建といわれこの地方守護神として祭られていた。火防祭「ひぶせ祭」は古くからこの神社の神事であったが現在行われている火防祭の形態ができたのは徳川時代になってからである。即ち水沢城主留守宗景公が明暦3年の江戸大火の惨状を身をもって体験され帰国後6町に民間消防隊を組織するとともに、神々の守護によって火災を未然に防止しようとし、日高神社の日は火に、瑞山神社の瑞は水に通じるとして両社に火防の祈願をしたのが現在の日高火防祭の初めであるといわれている。火防祭の日には各町ごとに町印を先頭に打囃、囃屋台の順に繰り出し神社に火防祈願をした後市内を練り歩くのである。打囃の簡素壯調さに対し、囃屋台の豪華絢爛さが対照的な美しさを表している。笛、大太鼓、小太鼓による打囃の曲は「トットコメエ」と称し全町同一であるが、笛、三味線、小太鼓によって奏する囃屋台の曲は各町ごとに定っている。即ち横町組は「一声くずし」、袋町組・駅前三町組「一声」、川口町組「つるべ并」、柳町組「剣ばやしくずし」、城内組「かんらん」、立町組「松の緑」、大町組・吉小路組は「祇園ばやし」である。打囃と囃屋台の曲を合せ日高囃と称し、昭和38年12月岩手県無形文化財の指定を受けた。昭和45年10月14日、天皇皇后両陛下が岩手国体のため行幸された時、水沢市県合同庁舎前で日高囃を代表し横町組の「一声くずし」が天覧の栄に浴したが、両陛下に、その豪華絢爛さを讃えられたとのことである。ここに日高囃天覧記念碑を建立するにあたり、その由来を記して後世に伝えるものである。昭和47年10月14日日高囃保存会』
水沢市指定天然記念物の姥杉。
かなりの大きさです。
二杉亭縁起。
山門。
拝殿前参道。
狛犬一対。
社殿。
向拝。
本殿は三間社流造銅板葺。寛永9年(1632)の留守宗利による改築と伝えており、岩手県においては江戸時代前期にまで遡る数少ない本殿であり、独特の虹梁と蟇股等には室町時代の手法も見られる貴重なものとなっています。平成2年(1990)国重要文化財指定。※幣殿と拝殿は昭和24年の造替。
本殿横の一画は森のようになっています。
「神ながらのこころ」碑。
境内の石燈籠や手水鉢。
こちらの杉も大きいです。
もちろん指定天然記念物。
こちらの御神木は数本の木が一束になっているような形に見えます。
こちらの御神木は絶対に道を譲らないタイプです。
瑞山神社(祖霊社)。
左右の燈籠には常夜燈(左)、百度石(右)とあります。
社殿前石燈籠一対。
社殿。
中は見れないようです。
瑞山神社と11人の殉死者…『日高神社境内にある瑞山神社は留守氏代々の祖霊社である。14世紀半ば、留守氏が高森城(仙台市岩切)に居たころ岩切の志波彦神社境内に1社を建立し、初代伊沢家景以来の霊を祀り、保榮堂と称した。留守氏はその後遷城をくり返し、曲折を経て、寛永6年(1629)伊達氏家臣として水沢を所領し、このとき岩切から当地に保榮堂を遷し、先祖代々の祖霊社とした。これが瑞山神社である。領主は宗利で、水沢留守氏の初代である。社号「瑞山」は家景を瑞山公と称したことにちなむ。宗利は近世城下町、水沢のまちの基礎を築いた人として高く評価されているが、寛永15年(1638)8月15日に逝去、同社に納められた。同月28日、家臣8人が主君に従って殉死した。8人は死に先立つこと数日、決別の宴を催し、辞世の句を詠んで所感を述べたという。8人も同社に合祀されている。また宗利の勘気にふれ、他国にいた浪人3人も12月3日追殉死した。いま、同社の北、南、西にある五輪塔がこの墓である。瑞山神社は間口1間(1.21m)×奥行1間(1.16m)、高さ2.5mの木造家形厨子で、同じく勾欄付き木造壇上に載る。屋根は入母屋造り、こけら葺き。全面に彩色を施し、黒漆と金泥を主としている。垂木の木口は装飾金具付け。総体的に江戸時代初期の手法が見られ、昭和47年10月27日に岩手県有形文化財に指定されている。同社の南には、二代宗直の墓がある。』
留守宗直の墓。
標柱横に説明があります。
水沢指定有形文化財の石燈籠と彰徳碑。
『水沢城主第弐代 留守宗直公 伊達和泉 正輪寺殿機峯宗用公大禅定門 正保元年(1644)福原屋敷90軒 足軽人頭87戸共に指添永々拝領す 大いに農桑を勧め新田を開発す 寛文3年(1663)5月3日卆去千時38才 室は伊達安芸貞宗の女 永光院殿心厳浄鏡尼大姉』
五輪塔・殉死者の碑。
鈴木忠右衛門重勝之命・坂本蔵人常則之命・付岡次郎兵衛元能之命・吉田杢之丞久國之命。
富沢正右衛門之命・秦野助左衛門之命・餘目三平之命。
坂本彦右衛門常時之命・佐藤太兵衛行高公之命・星三郎實久之命・三戸与五左衛門助次之命。
墓碑千葉家之奥都城他。
太刀洗川戦場跡の碑(昭和45年旧正月22日)。
留守宗利公銅像。
留守宗利の治績について…『宗利は、天正18年(1590)宮城郡利府城主留守政景(伊達政宗の父輝宗の弟)の第一子として、利府城に生まれた。15歳の慶長9年(1604)正月、清水城(花泉町)で元服し、同年10月父政景の転封に伴い、一関城に移った。慶長12年(1607)18歳のとき、政景59歳で没し、父の遺志により一関機織山に葬り、大安寺を建立して菩提を弔った。元和元年(1615)26歳のとき金ヶ崎城へ移されたが、寛永6年(1629)に在所を水沢の地としたい旨願出て許され、8月水沢城に移った。これが以後続いた水沢留守氏の祖であり、以来240年、留守氏は水沢の領主として幕末にいたった。水沢留守氏初代宗利は、水沢城(臥牛城)を修増築して城に入ったが、はじめに留守氏の祖霊社保榮堂(瑞山神社)を宮城郡(いまの仙台市岩切)から日高神社境内に移し、さらに長光寺をはじめとする留守氏関係五か寺をつぎつぎに当地へ移した。また、城を中心とした城下の街区地割を行い、食違い道路を導入して町人の住む六町、武士の住む四丁八小路を計画的に定めた。寛永10年(1633)伊勢国から漁網職人を招き、網作りを家中の内職として奨励した。産業の振興は留守氏代々の課題として、その後櫛作り、キセル作り、筆作りなどに展開していった。寛永15年(1638)8月15日、数多くの水沢の礎を築いた宗利は志なかばで逝去した。49歳であった。嫡子宗直13歳のときである。』
『あな尊妙見さまがおわします 日高の森のあさの静けさ』
針塚。
氏子宮。
天神社。
道祖宮。
二十三夜塔。
その他境内社。
御神徳と御由緒…『御祭神:大山作神・中津島姫命。例祭:毎年4月2日。五穀の神・酒の神・水の神・又交通(海上)の神として尊ばれており、中津島姫命は弁才天として尊ばれています。生きるものをグヒグヒと伸ばす神として京都の松尾大社(官幣大社)の分霊として大町橋の際に(高豊の西口のところ)お祀りしておりました。』
車祓所。
祈祷受付所・神札授与所。
社務所。
笛魂碑。
神楽殿。
神楽魂(小沢一郎書)…建碑誌…『昭和51年陽春4月初、日高神社斉館において、水沢市樋口豊文、江刺市故菅野守治、胆沢町千田林之助、金ヶ崎町渡辺房雄諸氏を交えて、胆江地方に永年継承されてきた神楽の伝統を護持し、相互の芸能の研鑽練磨を積むべく結束を図り、当地方の芸能文化に貢献寄与せんことを誓う。以来、水沢市千葉源一、金ヶ崎町金田三夫、衣川村小坂盛雄、江刺市菊地昌雄各氏の賛同加盟をえて「胆江地方神楽振興協議会」が成立発足す。胆江6市町村から27団体の神楽団の合意参加をえて、毎年8月22日、境内に神楽舞台を仮説し、神楽大会を催して大いに好評を博する。昭和55年、神楽殿新設以来、神楽を奉納すること12回に及び、各々神楽団の妙技を披露し後世に伝承せんとす。又、先人同志の鎮魂碑として永劫に伝え以って、斯道の弥栄を祈念して之を建てる。昭和63年3月吉日』
日高神社と杜(ふるさと名所50景)。
天皇陛下皇后陛下日高囃天覧記念碑。
その他にも石碑等がたくさんあって見応えのある神社でございました。
日高神社に隣接して奥州市消防記念館がありましたが、この日はやっていませんでした。土日祝日が休館日だときついです。大火の絵地図見たかった。
『この消防記念館は、防火思想を高める願いを込め、昭和45年に市が建築したものです。館内には、水沢の消防の祖とされている佐々木佐五平の座像、1859(安政6)年の大火の絵地図、1913(大正2)年購入された市原式改良三号蒸気ポンプ、現存しているものとしては国内唯一といわれている消防自動車ポンプ「ベンツ」(1924年式)等貴重な資料や消防機器が展示されています。見学を希望される方は、ごめんどうでも水沢市役所消防防災室にお問合せください。担当者が中を御案内いたします。(土、日・祝日・年末年始は見学できませんので御了承ください。)』