かつての桜庭村で、津軽一統志によりますと、桜庭山陽光院の由緒書に、藤氏支流桜庭良正が南部から入った時、大浦為則より桜庭村を所領として与えられたとありますが、その年時は不明。
慶安2年道筋帳によりますと、宮地村か国吉村を経て川原沢金沢へ至る道筋があり、集落はこの目屋街道沿いに発達。
貞享4年検地水帳によりますと、村中抱えの八幡社があります。
明治初年には一時多賀神社の相殿となっています。
明治6年村社。
末社。
字は消えて読み取れませんが薬という字が見えました。薬師様かな。
御神馬。
こちらは何だろう。壊れた燈籠にも見えますし、どことなく動物にも見えます。