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Channel: くぐる鳥居は鬼ばかり
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蛾虫坂 (龍田坂) ・ 蛾虫の一エビ ・ 稲荷神社 ・ 七面大明神 (黒石市温湯)

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蛾虫と言えば、大川原字山ノ蛾虫、大川原字蛾虫子、黒石市温湯蛾虫という地区があります。黒石市温湯の東北が蛾虫坂になります。
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『青森の伝説』には「温湯温泉から板留温泉へ行く途中に、蛾虫坂がある。この坂の右手が小高い丘になっているが、これを蛾虫の一エビという。昔八郎が、この下を流れる浅瀬石川と中野川をせき止めて、ここに飲み水を溜めようと、エビ(柳の枝を折り曲げて、ざるのように作った土砂の運搬具)一杯の土を盛った。しかし中野のお不動様に叱られて、そのまま逃げた。そのときの土盛りだという」とあります。十和田湖の八郎物語の根端。
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蛾虫坂。下記写真の丘の背後の坂道が昔の通路。
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「蛾虫坂より眺望 板留村之図」(下記写真:弘前の画家山形岳泉、明治10年代作)には蛾虫坂を通る人と、絵の中央に現在の板留温泉(崖際の板留村。向かいに落合の農家と水田)が描かれてます。昔の難所であったといいます。また、中野の紅葉山が眼の前に見えることから龍田坂とも呼ばれたそうです。その下の絵は同じ頃の山形岳泉の絵で「蛾虫坂より黒森を見る」。右端に中野不動尊、左上に黒森山、右斜め下に黒森村。
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落合大橋から見た板留温泉。その下の写真は大正4年の板留温泉付近の渓流。
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蛾虫とはカムイウシ(カムイ=熊、ウシ=多い)というアイヌ語に由来するもののようです。この近郊にはかつて黒石マタギの集落(大川原村付近)もありましたので納得できます。当時の蛾虫坂は上りは60間・幅2間、下りは40間・幅2間荷付馬の通行自由で、明和年間の藩律では津軽40坂(又は39坂)の1つに数えられ、「上60歩下40歩温湯道」とあります。坂下で中野路と板留路に分岐。郷土誌によりますと、「温湯から山手の方へ舊街道を辿れば、23町で蛾虫坂に至る。蛾虫坂の右に聳ゆる丘は七面山、頂上に登れば浅瀬石川の渓流は脚下を洗ひ、連山は果てもなく靄々として煙る。(中略)今は蛾虫坂其のものが、殆ど廃道同様になったので、態々此處に杖を引く風流人士はなくなったのが遺憾である。(中略)麓の小祠は村社稲荷神社…(中略)…稲荷神社を右に見て、急坂を喘ぎ喘ぎ登れば、間もなく蛾虫坂の絶頂に達する。旅人は何れもここに足を止めて汗を拭く。」とあります。
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『津軽ふるさと散歩』には次のような記述があります…『(前略)板留温泉で、道の右側に大町桂月の歌碑が立っている。「一椀の芋を分ちて君と吾 浮世の外の月を見るかな」。ふり返ると蛾虫坂で、昔は山を越えたものだ。その後は川べりの道が開かれて便利になったが、浅瀬石川ダム建設に伴ってトンネルが完成して楽々の通過となった。坂の途中には芭蕉の句碑がある。「梅が香やのっと日の出る山路哉」、同じ温湯の薬師寺にも芭蕉の碑「山中や菊は手をらぬ湯の匂ひ」の句碑があり、これは寛政12年、温湯村の後藤五嵐と友二の二人で建立している。』
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大町桂月歌碑…『碑文「一椀の芋を分かちて君と吾 うき世の外の月を見るかな」。碑陰「大町桂月先生歌碑記」。桂月先生は高知の人 明治二年生る。帝大国文科卒業 大正十四年六月十日本県蔦温泉にて永眠。先生天資明達流暢なる紀行文に表し 足跡天下に遍し 嘗て十和田の景勝を探り踵を我が浅瀬石川に転じ 板留に来遊 碑面の歌を中ノ湯に落書す 墨痕淋漓鶏群の一鶴に似たり 佳境更に佳趣味を添ふ 予今や不惑に二とせ 此の感愈々深し依て郷土景観の不朽祈ること切なり 茲に地元板留の甚大なる後援と温湯村江利山義顕氏の特異なる助力を得て之を建つ。昭和十三年八月十五日山形村花巻佐藤与三郎誌 高山文堂書 昭和十三年八月十五日建立』
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黒石市温湯がむし下には稲荷神社が鎮座。
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石鳥居。
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社号標裏(昭和3年旧6月10日・飯塚嘉四郎83才建立)。
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石鳥居裏(昭和18年7月10日・札幌市高橋木材店高橋東助)。
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御祭神は倉稲魂命。
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青森県神社庁による由緒には主に温湯温泉の歴史が書かれていました。
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また、稲荷神社については『宝永7年(1710)元の宮地であるがむし坂へ同村の六右衛門が社殿を再建、更に寛政7年(1795)村中にて再建す。』とありました。
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宝暦9年の黒石神社書上帳によりますと、当稲荷神社の勧請は宝永7年。御祭神は倉稲魂命。
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狛犬一対。
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松尾芭蕉句碑。
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「行秋や手をひろげたる栗のいが」
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左側面の句(吉村子文の句:天保3年(1832)9月建立)。
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「行秋や古巣に帰る鳥の影」
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本殿横にあった看板…「県内最古の芭蕉の句碑はこの道の先にあります(200m位)」。
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杖があります…
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ってことは当然…
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蛾虫坂麓には稲荷神社、坂の途中には芭蕉句碑、蛾虫坂頂上には七面堂があるとのことからこの坂道(蛾虫山道)こそが蛾虫坂かと思われます。
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それでは蛾虫坂をお楽しみください。
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芭蕉句碑。
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黒石市史か何かで見た写真ではもっと文字がくっきりしていたような…形もこんな形じゃなかったような。確か上部が壊れていて補修されていた気がします。
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よく見てみたら、どうやら上部の補修されていた部分は再度壊れてしまったようです。
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「梅が香にのつと日の出る山路哉(安永二癸巳年(1773)春三月)」。
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っていうか読み取れませんけどね。この碑はかつて土砂に埋れ、しばらくその存在が不明でしたが、大正4年に黒石町中町高橋三郎氏等の霊力によって発見再興されたもの。
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七面堂。
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七面堂内。
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南無七面大明神碑。
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七面堂裏手から今度は蛾虫坂を下ってみました。
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裏手の方が勾配がきついです。
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到着。裏手からの道はわかりにくいですね。下記写真が蛾虫坂入口になります。
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真正面にはスマイルキッチンが見えます。その後方は中野神社。
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さて、神社方面に車を置いてきたので、再び蛾虫坂を登ります(笑)
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七面堂が見えてきました。本日2度目の登頂!
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