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Channel: くぐる鳥居は鬼ばかり
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日和山の岩木山遥拝所碑 (鰺ヶ沢町舞戸町)

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弁財船時代、出湊の際に天気を予測をするために登った山です。現在は私有地を通らなければ辿り着けないため、日和山麓の住民で、ここに詳しい方に上まで案内して頂きました。ありがとうございました。
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頂上には岩木山の形をした石(横約2m・縦最高部約91cm)がありますが、この石は元々ここにあったものではなく、米町の人々が運んできて設置したもの。
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ちなみに昔はこの岩木山の形をした石の正面に参道があり(下記写真)、大鳥居も設置されていたそうです。
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確かに何となく参道があった雰囲気があります。もちろん現在はこの状態なので確認はできませんでしたが。
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木々や草木が伸びているためにわかりませんが、この岩木山の形をした石碑の後方にはちょうど岩木山が見ることができ、また、前方には海が見えていたそうです。
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現在はほとんど訪れる人がいませんが、昔は朔日山の日になると大勢の人々が日和山に登り、石の周囲は大変賑わっていたそうですよ。
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裏面には『奉納 二丁目米町 安政五戊午年八月朔日』と計7名の名前が彫ってありました。
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竹田市太郎、工藤直右衛門、竹田万四郎、工藤忠右衛門、菊谷要三、竹田衛、佐々木圓治。
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『鰺ヶ沢町指定文化財・有形民俗文化財(昭和58年4月20日指定)。この場所は日和山と呼ばれ、船乗りが船を出すか否かを決める際に、日和を見る(天候を予測する)ために利用した所とされる。伝説によると、斉明天皇4年(658)から、水軍を率いて日本海を北上した阿倍比羅夫が北海道に渡るために日和を見た所ともされている。また、この場所は岩木山の遥拝所であり、旧暦8月1日のお山参詣に行けなかった人がここで岩木山を遥拝した。岩木山の形をした石は、安政5年(1858)に2丁目・米町の人々によって建立されたものである。』
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