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Channel: くぐる鳥居は鬼ばかり
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赤石の追分碑

以前の記事:「曹洞宗 赤石山 松源寺 (赤石館跡 ・ 鯵ヶ沢)」案内板が新しくなってたよ…『追分碑とは、道の分岐点に建てられた昔の道路標識である。西浜街道(弘前-大間越)沿いにある赤石の追分碑は、安政2年(1855)に建てられたもので、大間越通と赤石沢目通の分岐点を示している。その後、明治時代に能代道の道路改修工事が行われたため、大正4年(1915)に新たな銘文が加えられた。』ブログ村ランキング参加中

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大山津見神社 (弘前市常盤野)

参道入口にあった地蔵堂。岩木山の南西麓標高約450mの山間部に位置する枯木平村(旧岩木町常盤野)で、東は百沢村、北西は松代村(鰺ヶ沢町)、南東は大秋村(西目屋村)に隣接。文政12年(1829)に村名を常盤野村と改称(封内事実秘苑)したそう。岩木山の南西麓、岳温泉の南西約900mの台地上には常盤野遺跡があり、昭和34年に発掘調査が行われ、平安時代の方形の竪穴住居跡が4戸発見され、同時代の土師器・羽口・...

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熊野宮 (板柳町横沢)

かつての横沢村。御祭神は伊弉諾命・伊弉冊命。安政2年神社書上帳によりますと、貞享元年(1684)再建の熊野宮(観音堂)がみえます。横沢・辻両村にて建立。延宝5年(1677)大破となり貞享元年に再建されたものと考えられます。本殿。狛犬二対。文政9年8月、講中にて稲荷神社建立。摂社神明宮。ブログ村ランキング参加中

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梅屋敷伏見稲荷神社 (亀戸梅屋敷跡 / 東京都江東区亀戸)

江戸しぐさでもしたくなるような細い裏路地にひっそりとあります。軒先に並ぶ植木鉢が江戸の下町風情を感じさせます。かつてこの地(亀戸3丁目)には梅屋敷として栄えた梅の名所がありました。江戸時代から続く梅の名所で、元々は伊勢屋彦右衛門の別荘で清香庵と称されていましたが、喜右衛門の頃になると庭内には梅が多く植えられて梅屋敷と呼ばれるようになったそうです。そこを訪ねた水戸光圀(水戸黄門)が一株の梅がまるで龍が...

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八幡宮 (青森市浪岡大字吉野田)

一の鳥居の脇に猿田彦大神(弘化2乙巳年)。参道。結構鳥居ありますね。天文年間(1532-1555)、津軽郡中名字に葦野田とあり、後年の吉野田村の西方の通称佐渡と思われます。佐渡と福舘村(現常盤村)の間の捨水堰の傍らに佐渡の畑と呼ばれる古館跡があり、佐渡島より落ちのびてきた武士のもの。八幡宮は天和年間(1681-1684)の勧請で御祭神は誉田別命。貞享4年(1687)古館より移したと伝えます。貞享4年...

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稲荷神社 (嶽温泉 / 弘前市常盤野)

嶽温泉(山のホテル横)にある稲荷神社で、参道は嶽温泉登山道を兼ねています。スカイラインとほぼ平行する登山道で、岩木山の数ある登山道の中では初心者コースです。左の道が登山道です。御祭神は倉稲魂命、少名彦命。延宝2年頃、岩木村百沢の野呂長五郎が薪材取りのため入山の際、稲荷大神の霊感によりて温泉(嶽温泉)を発見し、その霊験に感謝して倉稲魂神、少彦名神の二神を奉祀して稲荷神社と奉称したのが起源。明治6年、氏...

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生魂神社 (南津軽郡田舎館村)

詳細は前回の記事も参照してください。『田舎館城 & 生魂神社...

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川合神社 (黒石市浅瀬石)

浅瀬石村字川合の川合神社。御祭神は天照大御神、浅瀬石千徳氏、龍神様。現在の川合神社神職の夢枕に現れた浅瀬石城主の御霊を祀っており、篤く崇敬していることが伝わります。また、浅瀬石川の畔に鎮座しているため、龍神様も祀っております。本殿。摂社。ブログ村ランキング参加中

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日照田の板碑 (鯵ヶ沢町日照田町)

地蔵堂の板碑2基と一本松の板碑1基本があります。こちらは地蔵堂の板碑。右側の板碑は応安8年(1375)の年号があり、大黒天を表す梵字「マ」が刻まれています。左側の板碑は年号不明で、梵字「キリーク」(阿弥陀如来)が刻まれています。鯵ヶ沢町指定文化財(昭和58年4月20日)。地蔵堂。旧道沿いの一本松の板碑。永徳2年(1382)の年号と、阿弥陀如来を表す梵字「キリーク」が刻まれています。いずれも南北朝時代...

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庚申神社 ・ 常夜燈 (鯵ケ沢町米町)

江戸初期には本町の一部で、本町裏町と称されていました。寛文11年(1671)に米穀を取り扱う米町として分立。神社としては神明宮、庚申堂、堺屋屋敷の松尾大明神(天正年間勧請)があります。寛永11年(1634)創建の庚申堂(庚申猿田彦御神社)。現在は質素な雰囲気ですが、慶安の絵図では立派な神社です。舞戸正八幡宮の社司木村家の先祖木村相模太夫が、山中で神霊に会い、一堂を建立して勧請。『野崎弥惣兵衛尚芳記』...

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元長峰八幡宮 (大鰐町長峰)

参道の途中に踏切があります。電車に気をつけて渡りましょう。右見て、左見て…。かつての長峰村になります。享保11年に杉浦村と駒木村を分村。貞享4年検地水帳によりますと、鎮守は八幡宮(社地494坪・林1町6畝)で、御祭神は誉田別尊。また、阿弥陀堂(堂地256坪・林8畝)も見えます。創建は不詳ですが、その歴史は大変古く、曽我氏の下長峰館の館神と伝えられます。寛永9年(1632)再建。また、安政2年神社書上...

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神明宮 (鶴田町菖蒲川)

かつての菖蒲川村で、北は鶴田村、東は鶴泊村、南は大姓村に接します。岩木川決壊による被害を受けた地域でもあります。巨木に囲まれた鎮守の森。神明宮の建立年月日は不詳で、明和3年(1766)再建。貞享4年検地水帳にも、元禄15年の社堂社地境内内記にも記載がありません。菖蒲川・笹森両村民はもと大性村神明宮の氏子であったため、再建ではなく、明和3年に分霊勧請し創建したと考えられています。御祭神は天照皇大神。嘉...

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五百羅漢 (岩手県遠野市綾織町)

『いまよりも平気気温が3度も低かった江戸時代、高冷地の遠野はしばしば凶作に見舞われ、宝暦5・6年(1755・6)天明2年(1782)などの大飢饉には多くの犠牲者を出しました。心を痛めた大慈寺の義山和尚は、その供養のため明和2年(1765)から数年をかけてこの五百羅漢像を彫りあげました。』小川沿いを登っていくと何かが彫られている石がありました。羅漢像らしきものが彫られているのですが、はっきりとわからな...

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関の古碑群 ・ 甕杉 (関の杉) ・ 金井安東古跡之地 (深浦町関字栃沢)

県指定天然記念物「関の杉」、史跡「関の古碑群」。入口にあった菅江真澄の道碑。『深浦を出立して鯵ヶ沢に向かう真澄は、寛政9年(1797)5月7日(「つがろのおち」)、関邑の安浄寺(浄安寺)の「しりよりいりて」甕杉、阿弥陀杉をみる。』『「あみだ杉とて田のほとりにあり」(現在はない)「かめ杉は山ぎはの小高き処にあり、その木のもとに貞和3年(1347)貞治6年(1367)の石ぶみどもたてり」と記している。当...

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胸肩神社 ・ 諏訪神社 (文珠堂 ・ 鵲の池 / 黒石市中川篠村)

御祭神は市杵嶋姫命。青森県神社庁HPによりますと、文明年間(1469-1487)、浅石城主千徳左衛門政久の家臣中河隼人が社殿を建立して弁才天を勧請。大永3年(1523)、中河村の産土神となりますが、慶長2年(1598)浅石城落城により廃社。寛永元年(1624)、村中にて社殿を再建し、文珠菩薩像を奉斎して弁天宮と称します。安政2年神社書上帳には文殊堂(境内東西八間南北五間)と弁天宮(境内東西拾弐間南北...

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日和山の岩木山遥拝所碑 (鰺ヶ沢町舞戸町)

弁財船時代、出湊の際に天気を予測をするために登った山です。現在は私有地を通らなければ辿り着けないため、日和山麓の住民で、ここに詳しい方に上まで案内して頂きました。ありがとうございました。頂上には岩木山の形をした石(横約2m・縦最高部約91cm)がありますが、この石は元々ここにあったものではなく、米町の人々が運んできて設置したもの。ちなみに昔はこの岩木山の形をした石の正面に参道があり(下記写真)、大鳥...

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久須志神社 / 応安4年の板碑 (弘前市元薬師堂)

田んぼの中に鎮座しています。元薬師堂という住所が既に歴史を語っていますね。一之鳥居両脇には「猿田彦大神五穀豊穣稔町内平安諸災退散家業繁栄守護」「月夜見大神五穀豊穣稔町内平安諸災退散家業繁栄守護」と書かれた柱が立っています。御祭神は大己貴命、少彦名神。医薬に御利益あり。かつての薬師堂村で、宝暦3年に一度潰村となり独狐村に吸収されるも、宝暦9年に再び取り立てられています。安政2年神社書上帳によりますと村...

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八幡宮 ・ 保食神社 (田舎館村堂野前)

神堂橋。かつての堂野前館(東光寺館)跡地に鎮座。御祭神は譽田別尊。創建不詳ですが、正保4年(1647)、堂野前村、東光寺村、前田屋敷村右3ヶ村にて五穀成就、村中繁栄を願い、主福士吉衛門・神職市十郎が京都男山祇鳩峰岩清水八幡宮より勧請と伝えます。貞享4年検地水帳によりますと、甚五郎抱えの八幡社・観音堂地地とみえます。観音堂は貞享元年の創建であり、田舎館城主千徳政武夫人の観音像を祀ります。保食神社はかつ...

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豊受美神社 (鯵ケ沢町淀町)

海を背に山へと登って行きます。いい景色ですね。御祭神は豊宇受比売命。鯵ケ沢町富根町が文政年間(1818-1830)に拓かれ、その後、安政年中(1854-1860)に淀町開拓し、産土神がなかったため、町奉行斎藤熊蔵から弘前藩主津軽為信の御舘神を御分霊安置を願い出て、万延元庚申年(1860)に許可となり、富根町(文化2年に開かれた町)・淀町(安政6年に開かれた町)の両町にて、町の南部に豐受美神社を勧請崇...

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平野熊野宮 (つがる市木造菊川)

御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命。草創年月不詳。元文元年(1736)陸奥国津軽郡御検地水帳に熊野社地が見えます。嘉永4年(1851)4月再建。本社破損の際にはその都度村中にて再建してきました。狛犬一対(大正7年6月14日)。保食大神(馬頭観音)。御大典記念碑。二十三夜塔と猿田彦大神。隣の祠。判断はしかねますが水神(罔象女大神)っぽい。女神型水虎様の特徴である亀(玄武)は見えません。立派な御神木。標柱は...

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