かつての松代村。岩木山・土倉山の麓の町です。猿あたりは普通に現れます。菅江真澄は「雪のもろ滝」の中で、『岩木山を左方に見て、土倉という長い坂を下ると、荒川の流れを近くへだてて、山田をつくっている芦谷萢という村が見え、松代で昼食をとって休んだ。なべこわし石を経て、若い男女が恋のうらないをする鍵かけのかぎのかかっている梢が、冬枯れて立っていた』と記しています。
土倉橋。
橋の横にある地蔵堂と百万遍(紀年銘明治)。天明飢饉の際に白沢の坂道を登れずに亡くなった人のために無名の石碑(供養塔)があるといいますが、これと関連するかは不明。
橋から美しい川を眺めていたら…
鳥居が見えました。
鳥居は見えるけど…参道は!?(笑)
よかった。きちんと参道がありました。
参道途中の末社。ヤクルトがありました。ヤクルトで判断するわけではございませんが、篤く崇敬されているのが伝わります。
こちらは参道途中にあった不思議な形の巨石。
正面に窪みがあり、中にはヤクルトがありました。つまり、篤く崇敬されております。
山道の参道を更に進むと社殿があります。
貞享4年検地水帳によりますと、百沢寺抱えの薬師堂地が見えます。百沢寺は現在の岩木山神社で、岩木山山頂には阿弥陀如来・薬師如来・十一面観音(真言宗百沢寺岩木山三所大権現)が祀られていました。松代の部落は現在も二戸だけ残して、他は全部神道で、お墓にも奥津城と刻まれ、人が亡くなると百沢から神官が来て神式で葬儀を営み、参列者は白い喪服を着用するといいます。
薬師堂は元文年間(1736-1740)創建と伝えます。御祭神は大己貴神・少名彦神・金山比古神・金山姫神。伝説によりますと、源平合戦で敗れた平家の落人がこの地に集落を作り、ささやかな神社を建てて薬師神を祀ったそうです。
後に神仏分離によって少毘古名神社となりました。
明治初年には百沢村の高照神社に一時合祀されるも後に復社し、明治14年8月に松代が中村と合併になり、薬師神社から久須志神社に改称。
末社龍神宮。