御祭神は天照皇大神。
かつては修験弥勒院抱えの日月堂(日天月天堂)。
創建は寛永元年と伝えます。
垂柳と枝川両村の氏神として崇敬された神体仏号の神社。明治4年の神仏分離の際に神明宮に改称。
大同2年(807)、坂上田村麻呂が蝦夷征伐に来た折、神仏の加護を受けんとして百余りの神社を建立して祈願。日月の絵を書いた軍旗に改め、見事蝦夷を討ち平らげることができたとし、その際に清浄の地を選んで軍旗を置いたのが垂柳と伝えらています。村民はその旗が風雨に曝さらされるのを恐れ、日月堂を建立して納め崇敬。
それから400年後の天正年中(1573-1591)、火災に遭いますが、後に田舎舘城主千徳掃部政武の家来福士市左右衛門が再建して産土神として崇敬。日月の像を鋳造。金属を溶かして作り、それを御神体として神殿を造営したと伝えます。明治の神仏分離によって天照皇大神を祀る神明宮になりました。
石鳥居敷石奉献記念碑。
不明の石。
手水舎。
何やら陸軍に係る碑(明治40年5月16日建立)。
御神木。
四方八方、穴がいっぱい。
三頭木。