十条は1448年(文安5年)の熊野領豊嶋年貢目録に初見され、由来は新編武蔵風土記による豊島清元が熊野権現を勧請した際紀州の十条峠に因んでつけたとする説と、新修北区史による古代の条里制に基づくという説があります。
そんな十条より富士塚の紹介。
伊藤元講などの建てた石造物が30数基あります。
溶岩を配し、半円球の塚の頂上を平坦に削り、富士山の御神体の分霊を祀る石祠を置いています。
中腹には五合目近くの小御岳神社の石祠。
石段の左右には登山路の跡が残されています。
狛犬。
御神木(樹齢推定260年)。
毎年7月1日の富士山の山開きの日には、富士神社(十条富士塚)にて大きな縁日(通称お冨士さん)が催されます。
案内板より。
『十条冨士塚は、十条地域の人々が、江戸時代以来、冨士信仰にもとづく祭儀を行って来た場です。現在も、これを信仰対象として毎年6月30日・7月1日に十条冨士神社伊藤元講が、大祭を主催し、参詣者は、頂上の石祠を参拝するに先だち線香を焚きますが、これは冨士講の信仰習俗の特徴のひとつです。塚には、伊藤元講などの建てた石造物が、30数基あります。銘文によれば遅くとも、天保11年(1840)10月には冨士塚として利用されていたと推定されます。これらのうち、鳥居や頂上の石祠など16基は明治14年(1881)に造立されています。この年は、冨士講中興の祖といわれた食行身禄、本名伊藤伊兵衛の150回忌に当りました。石造物の中に「冨士山遥拝所再建記念碑」もあるので、この年、伊藤元講を中心に、塚の整備が行われ、その記念に建てたのが、これらと思われます。
形状は、古墳と推定される塚に、実際の富士山を模すように溶岩を配し、半円球の塚の頂上を平坦に削って、富士山の神体の分霊を祀る石祠を置き、中腹にも、富士山の五合目近くの小御岳神社の石祠を置いています。また、石段の左右には登山路の跡も残されており、人々が登頂して富士山を遥拝し、講の祭儀を行うために造られたことが知られます。』