胡四王山(183m)の頂上に鎮座。かつての矢沢村で鎮守は胡四王神社。
宮沢賢治記念館の近くにあります。天気が悪かったので表参道からではなく、注文の多い料理店「山猫軒」の前に車を置いて、東参道から歩いて行きました。
表参道。
御祭神は大己貴命、少彦名命。
胡四王(古四王)信仰は秋田県(古四王神社(秋田市寺内)、古四王神社(大仙市大曲)、古四王神社(にかほ市象潟)、古四王神社(横手市植田)など)を中心に日本海が多く見られ花巻でもそれらの影響があったものと考えられています。
現在の拝殿は慶応3年(1867)、本殿は大正元年(1912)に建立。細かで繊細な彫刻や歴史的背景などから花巻市指定有形文化財に指定。
拝殿は名工・二代目高橋勘次郎が棟梁つとめ、本殿はその弟子である小原樗山が彫工をつとめ、杉山辰之助が棟梁をつとめて建立。
拝殿向拝下。
拝殿脇障子。
本殿脇障子。
本殿の鶴と亀。
神楽殿とその裏の建物。
手水舎。
胡四王蘇民祭(平成7年11月22日指定第58号花巻市無形民俗文化財)…『蘇民祭が行われる胡四王神社は、鎮守府将軍となった坂上田村麿呂が、大同2(807)年に蝦夷征伐のために当地方に下向したさい、自らの兜に奉じた薬師如来像を胡四王神社に安置し、武運を念ずるとともに四民の息災安穏を祈願したことが起源とされている。胡四王神社の蘇民祭はソミンとも呼ばれ、花巻地方に原因不明の難病が流行したことから、蘇民将来の説話譚に基づき慶応元(1865)年より始められたといわれている。戦後しばらく途絶えていたが、昭和49年氏子青年達の手によって復活し今日に至っている。かつては羽山神社などでも行われていたが、現在では市内唯一の奇祭として市指定文化財となっている。また岩手県内で行われている蘇民祭は、全国的にも有名な水沢市の黒石寺蘇民祭をはじめとして、9箇所でその存在が知られている。胡四王神社の蘇民祭はそのトップを飾り、毎年正月2日の午前9時から正午にかけて行われている。無病息災、商工繁栄、家内安全、国家安穏、五穀豊穣を願って遥拝殿で行う祈念祭に始まり、白はち巻に褌、腰に注連縄を巻き、白足袋に草鞋ばき姿の年男達による裸参りと続き、山頂拝殿前にて松明を灯し境内の内外を清める浄化祭を経て、同境内にて勇猛果敢にひとつの蘇民袋をめぐって奪い合いを繰り広げる蘇民袋争奪で祭りのハイライトをむかえる。』
胡四王蘇民祭奉賛御芳名。
胡四王神社案内…『御由緒:大同2年(807)坂上田村麿東征の折、この地に宿営し、将兵の武運長久、無病息災祈願のため、自ら兜の中心に納めてあった薬師如来を祀り創建された。稗貫氏時代には医王山胡四王寺(天台宗)として末寺十八ケ寺を数える全盛時代を成した。天文年間に火災に遭い一時衰微したが、南部藩に引継がれてからは、社領を受け、祭礼には代参を遣わすなど、南部藩の祈願所として地域の信仰を集めて栄えた。文化15年(1804)別当杉山丹後藤原道春が神道祀官となってから、薬師如来を、医学の神・国土開発の神である「大己貴命」「少彦名命」に代え、村名を冠して矢沢神社とした。明治6年郷社に列す。町村合併で市制が施行された昭和29年、胡四王神社と改称し今日に至る。。祭典日:蘇民祭(1月2日/花巻市指定無形民俗文化財)、例大祭(4月28日、29日/神幸式・宵宮祭・例祭・講社祭)、夏越大祓(6月30日/茅の輪神事・虫祭)、秋季大祭(9月2日/神幸式)、年越祭(12月2日/新穀感謝祭)』
胡四王神社…『賢治はこの山をこよなく愛し、少年時代からたびたび登っては周囲の風光にひたり、樹の下で瞑想に耽った場所である。賢治18歳の作品に次の短歌がある。「山上の木にかこまれし神楽殿/鳥どよみなけば/われかなしむも。」賢治が盛岡中学を卒業してまもなく、約40日間盛岡の岩手病院に入院した時の若い看護婦に想いを寄せて詠んだのであろう。北はずれにあった神楽殿に登っては恋慕の思いに悩んでいたらしい。ここは昔から「薬師さん」と呼ばれ、健康を祈願した処であった。今は「胡四王神社」になり、例大祭のほか賢治の命日には胡四王神楽が奉納されている。なお、この山を賢治は「経埋ムベキ山」32のひとつに入れている。』
胡四王山の文化財。
お腹はすいていなかったのですが…
車を停めた場所が悪かったですね。
誘惑には勝てません。
山猫ぞうすい。
白金豚のカツカレー。
ケーキセット。
山猫軒の裏に展望台がありましたが天気が悪く…
『東には紫磨金色の薬師佛そらのやまひにあらはれ給ふ 宮沢賢治』