かなりわかりにくい場所にあるので説明します。鎮座地は弘前市下湯口扇田で、弘前市悪戸芦野と弘前市湯口一ノ下り山に挟まれた場所にあります。
ルートはいくつかあるのですが、私はアップルロード沿いにある「JAつがる弘前河東地区りんご施設」の丁字路から農道を通って栩内川を目指しました。栩内川を渡る橋の手前になります。車だとすぐ着きますが、配水タンクから先の道は軽自動車でもすれ違うことのできない道幅になるので注意です。
御祭神は大山祇大神。
天地の統治神にして守護神なる大山祇大神を台風や雨水や地震などに負けることなく、数多郷人達の心の状を永遠に守るべく願いを込め奉納。
社殿内。
下記由緒によると平成3年の台風により倒壊し、翌平成4年に、下湯口町会長、森林組合、天満宮宮司、神明宮総代、健寿会、㈲杉山ホーム社の杉山武男氏らの協力により再建に至ったようです。
長坂神社建立祭文…『見遙かす山並み花霞に煙き芽木萌えいのち盛り萬物歓喜に湧きける五月の風清けき平成四年端午の佳きこの日を吉日の祭り日と定め天界高き神御座に神鎮りいます天地の統治神にして守護神なる大山祇大神さまの神名高々と称え崇め奉り大神さま御座所なる御神殿奉建の建業をするにあたり恭々しく記しおくなり之が神御座建立の願ひは三年九月二十八日未明よりの大風の吹き荒ぶるが故えなりせば大木打ち倒れしがために神殿倒壊せしが故えなれば郷の先達人なる町会長平井重神明宮総代石岡良司健寿会長小山内弥作を甫めとする数多人達これが神御座再建の希みをよく計り郷人の集いなる森林組合に宝財寄進の願ひを説き明かしたるところ正事なればと我れ等が郷人達の心よりの願望を許したまへる平成四年去る四月十六日祝ぎの心内に初め之々斫場を天満宮が宮司宇庭定憲氏が厳しく祓ひ浄めて茲に起工始めの祭りを献ぐるに至れり新しき神御座の建業には下湯口が郷人なる大匠杉山武男が築りし御神殿を同人が下湯口が郷に奉納せるなればこれ杉山武男大匠が心の状を神照覧したまへ嘉賞したまへ旋つ風の吹き荒びなく悪しき雨水のたぎり注ぐことなく大地の震ひ揺るるながらせたまへ置き据えたる礎は千代に万代にも揺ぎなく之が建て舍なる神御座に永久に神鎮め奉らばやと恭々しく願ひめぐるなり天地の統治神にして守護神なる大山祇大神さま今日より新たなる木の丸殿にも神の住むなる御神意を恭なみたまへしこれ下湯口が郷中より南方の山裾に霊妙き因縁とぞなせる大神さま始め神々さまの御神意を恭なみたまへれば数多郷人達の心の状を神守りに守りたまへ幸きはいたまへと恭々しく祈願み奉らくと白す 平成四年端午十二日 神明宮総代三浦昭男敬奉白(以下奉納者芳名)』