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Channel: くぐる鳥居は鬼ばかり
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蝉坂 & 西方不動尊 (東京都北区上中里)

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上中里へやってきました。
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駅前から大きく湾曲しながら上る坂道が蝉坂です。
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蝉坂標柱より。
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『六阿弥陀道の途上でもある蝉坂という名称は江戸時代の後半にはあったようで、幕府の編纂した地誌「新編武蔵風土記」上中里村の項に「平塚明神ノ傍ニアリ、登リ三・四十間」とあり、このあたりから平塚神社の参道に沿って約54mから72m余を登る坂道だとあります。
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坂を登りきって少し歩くと日光御成道と合流しますが、西ヶ原一里塚の方向へ右折してすぐに左折すると六阿弥陀道第三番札所の無量寺へと向かう道に入ります。
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明治時代初期の「東京府志料」では「或云、攻坂ノ轉訛ナリト」と室町時代の平塚城をめぐる合戦を彷彿とさせるような坂名の由来を記しています。現在の坂道は昭和18年7月、昔の坂を拡幅して出来た道です。』
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坂下には外観的に昭和を感じさせる「百亀楼」という中華料理店があり、そこから物凄くいい香りがしていました…お腹がすいていれば絶対店内に吸い込まれていたと思う…食べてないけど名店と即判断(笑)
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坂下付近…百亀楼から少し上った所にひっそりとあるのが上中里西方不動尊。
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境内にあった由緒案内より…『上中里西方不動尊。この付近には瀧があり行場になっていて、この不動明王像が置かれていたと思われる。この仏像はあらゆる悪をこらしめることを目的にしているので、忿怒形という怒り狂った恐ろしい形相をしておりますが、実はその内面では慈しみがふかいという。大日如来が変身された姿であるとか、その使者であるとかいわれている。背中に火炎があり、これが煩悩を焼き尽くし頭から左肩へ髪をたらし、羂索と刀を持ち、岩の上に腰をかけている。台石には享保20年(1735年)の銘がある。光背の火焔の間がハート型になっている。鉄道工事や道路拡張に伴ってたびたび移転されここに置かれたのは昭和2年のことである。不動明王のご真言(ナウマクサマンダバザラダンセンダマカロシャダソハタヤウンタラタカンマン)。』
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『摩利支天。疾走する猪の背に立つ像は摩利支天だけである。陽炎や光線を神格化したもので三面六手で猪に乗り真言をとなえて念ずれば一切の厄難をまぬかれることができるといわれ武士に信仰された仏像である。台石には、御嶽行心講とある。亥の年は、吉兆、金運、良縁がかけこむといわれ亥はあらゆる難を除き運を開く摩利支天の神力を表す使者とされている。摩利支天のご真言(オンマリシエイソワカ)。』
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左側が摩利支天、右側が不動明王
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『享保初年御鎮座往時を偲びて奉納』と書かれています。不動瀧の文字も見えます。
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『奉納 五大山 西方大威徳夜刄明王』と彫られています。五大明王の西方の守護者。
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大黒様と恵比寿様。
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昭和15年道路建設紀念碑。現在の蝉坂のことで、昭和8年に開業した上中里駅へのアクセス向上のために作られた道路。それ以前は自動車が通れない、曲がりくねった未舗装の道路だったようです。
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これは…石橋の欄干でしょうか。
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