合浦公園正面入口に社号標(大典記念・昭和3年11月10日)があります。境内は合浦公園の一角にあり、住所は青森市合浦となりますが、合浦稲荷神社ではなく、浪打稲荷神社と呼んでいる方も多いようです。社殿内の提灯には合浦稲荷神社とありました。一方で、造道稲荷神社として紹介している文献も多く、また、諏訪神社の兼務社となっており、諏訪神社HPでは合浦稲荷神社として紹介されています。ややこしや~ややこしや~。
現在浪打は合浦のすぐ南になりますが、合浦は戦前の昭和10年前後に区画整理が行われ、合浦町が作られました(但し、天正18年に大浦為信が豊臣秀吉より津軽3郡と合浦一円を安堵されているように合浦は戦国時代から見える地名)。浪打村の歴史を辿れば、集落中央部に稲荷神社が鎮座しており、御祭神は倉稲魂命。享保13年創建と伝え、明治初年に廃社となるも、その後社殿を新築して再興とあります。一方、青森市史では造道稲荷神社として紹介されており、御祭神は倉稲魂命。貞享年中の創建。明治6年3月村社。また、同社の由緒書によりますと草創不詳。寛永元年、青森開港当時は既に造道の稲荷林と呼ばれる地に稲荷大明神が建立されていたといい、造道村の五穀成就のために勧請したと考えられており、御廻船航海安全、当所繁栄のための祈願所として造道村から博労町の突き当りの堤川岸に移されたといいます…場所が違う…ややこしや~ややこしや~。土地勘がなくよくわかりませんでしたが、いずれにせよ、現在は合浦稲荷神社とのことです。
さて、最初の鳥居をくぐって直角に曲がると社殿正面になります。
拝殿。
蟇股・木鼻。
神額。
拝殿内。
本殿。
社殿横にも鳥居があり、もう一つ入口があります。
手水舎(明治43年7月10日)。
石灯籠一対(昭和4年8月10日)。
燈篭台座。
社殿横の参道にある狐一対(昭和59年6月10日)。
稲荷神社遷宮記念碑(昭和7年10月10日・青森市長北山一郎謹書)。
社殿脇の末社。
狐が刻まれた正一位稲荷大明神の神石(天保9戊戌年4月)。
土俵。