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Channel: くぐる鳥居は鬼ばかり
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正藏院 (東京都大田区本羽田)

通称羽田不動尊。真言宗智山派。喜修山了仲寺。開創年代は不詳。宝徳2年に正蔵院住職重仙、文禄4年(1595)に蔵院住職乗信が本尊不動明王像を修復したと伝え、開創年代はそれ以前であると考えられ、宝徳2年を中興開山としています。慶安3年に境内が多摩川洪水の被害を受け、元禄8年に織田越前守の検地により2段1畝8歩を境内地として与えられました。大正11年5月20日羽田仲塗師観蔵院を合併。御本尊は木造不動明王立...

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丸山羽黒神社 (つがる市木造)

丸山溜池の西岸に鎮座しています。こちらの由緒はわかりませんが、津軽の羽黒神社と言えば、御祭神に倉稲魂神、大己貴命、水波能売命などを祀り、眼病平癒に霊験あらたかな霊泉が湧く場所に勧請されているというパターンが多いです。また、以下に記している句や讃歌から、飲料水や畑の農業用水としても役立てていることが伺えます。森に囲まれていながらも境内を綺麗にされているのがわかります。社殿です。社殿内。昭和61年8月に...

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浅虫縁結地蔵尊 ・ 赤倉大神 (青森市浅虫)

青森市浅虫温泉森林公園付近には歌碑の森があり、たくさんの歌碑が並べられています。一部紹介。『浅虫の浦の島山みるかぎり霞たなびく深雪ながらに』船水公明『限りなき思ひしておりつ春嵐ひた咲くなかのまんさくの花』横山武夫『温泉に入りて一夜ねむりぬ陸奥の山の下なる入海の音』島木赤彦第1回北のまほろば青森全国短歌祭大賞『母の手話をじっと見つむる少年のふいにおほきく声たてて笑ふ』和佐田康子(群馬県伊勢崎市)十五番...

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垂柳遺跡 (田舎館村)

国史跡垂柳遺跡…『垂柳遺跡は、津軽平野の東部、田舎館村に所在する弥生時代中期の水田跡で、東北地方北部において弥生時代の稲作が最初に確認された遺跡である。検出された約4万㎡の水田区域は東・中央・西区域に分かれる。各区域は大畦畔や水路でいくつかの区域に地割りされ、さらに小畦畔によって碁盤目状に配置される小区画水田に細分される。この水田面には無数の足跡が残る。中央の水田区域北方では土坑墓が検出され、墓域が...

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野辺地戦争戦死者の墓所

県道243号線沿いにあります。当時の津軽軍本道隊進路。野辺地戦争戦死者墓所。野辺地戦争戦死者の墓所…『京都の鳥羽・伏見において始まった戊辰戦争は、やがて全国を巻き込む内戦となった。東北地方の諸藩は、官軍に対抗して奥羽越列藩同盟を結成したが、各藩の思惑は一致せず、秋田藩・弘前藩などは、その後官軍支持に立場を変えた。明治元年(1868)9月22日夜半、弘前藩の軍勢約180人が突如南部領に侵攻した。本道を...

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旧穴守稲荷神社大鳥居 ・ 辨天橋 (東京都大田区羽田)

羽田大鳥居と言った方がわかりやすいかも知れません。立派な明神鳥居です。額束には「平和」とあります。『この大鳥居は、穴守稲荷神社がまだ羽田穴守町にあった昭和初期に、その参道に寄付により建立されたと伝えられています。その後、終戦とともに進駐した米軍により、羽田穴守町、羽田鈴木町、羽田江戸見町の地域一帯に居住していた人々は強制退去され、建物は全て取り壊されました。しかしながら、この大鳥居だけは取り壊しを免...

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稲荷神社 (野辺地町蟹田)

はまなすラインを北上していると蟹田地域で右手に鳥居と社殿が見えます。由緒等はわかりませんが蟹田地区の産土神として崇敬されているものと思われます。ちなみに『北奥道中図部分』(江戸時代)には木明・古明・明前・蟹田・有戸に神社が見えません。神社はすぐ目の前なのですが小川があり渡れません(笑)ジャンプして行けそうな場所もありますが…やめておきます。参道正面に橋みたいなものもありますが…これってどうやって渡る...

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鳥谷部神社 (七戸町)

建立年月日、由緒等はわかりませんでした。鳥谷部村の産土神もしくは氏神として信仰されてきたのでしょう。本殿裏手は急勾配になっておりました。ブログ村ランキング参加中

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稲荷神社 (平内町浜子)

御祭神は倉稲魂神。例祭日は3月10日。元々浜子の平田定夫氏の敷地にありました。昭和の初め頃から浜子にはオシラさまの仲間があり、平田定夫氏の奥様もその一人でした。ある時、イタコが平田家に来られてオシラさま遊びをさせていた時、神のお告げがあり、ここの屋敷に祀られている稲荷様が現在地の所に移りたいとおっしゃっている、とイタコが喋ったといいます。そこで浜子のオシラさま仲間達が相談し、昭和35年頃に現在地に移...

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荏柄天神社 (神奈川県鎌倉市)

御祭神は菅原道真公。『相州鎌倉荏柄山天満宮略縁起』によりますと、長治元年(1104)8月25日創建。一天俄かに掻き曇り、雷雨と共に黒袍の束帯姿の天神画像が天降り、里人がこの神験を恐れて降臨の地に社殿を建ててその画像を納め崇拝し、銀杏の木を植え神木としたとあります。荏柄の社号は奈良時代の天平7年(735)の『相模国封戸租交易帳』や『倭名類聚抄』の相模国鎌倉郡にみえる「荏草郷」の「エガヤ」が転じて「エガ...

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竜飛弁天宮 (外ヶ浜町三厩龍浜)

竜飛岬です。帯島へ。義経伝説が残る外ヶ浜町ですが、蝦夷地へ渡る際に帯を締め直した場所との伝説を残します。巨大な岩山。頑張れば登れそう。頑張らないけど。登っていいのかも不明。釣り人とかで登っている人はいますね。津軽海峡亭。新鮮な海産物をふんだんに使用した食事ができます。民宿を兼ねているので宿泊も可能。帯島にある辨財天宮へ。弁天宮は竜浜崎弁財天宮として宝暦10年の社堂惣調書上帳に見えます。文政7年の神社...

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稲荷神社 (外ヶ浜町三厩龍浜)

御祭神は保食神。稲荷宮・地蔵堂・弁天宮の三社の例大祭として例祭をしていますが、弁天宮は竜浜崎弁財天宮として宝暦10年の社堂惣調書上帳に見えます。文政7年の神社書上帳では竜浜崎弁天宮と同村稲荷宮が並んで見えます。ちなみに竜飛と竜浜はいずれもアイヌ語のタップの表記と思われますが、岩木山に祀る多都比姫とも習合したものなのか、例祭ではサイギサイギを唱えます。社殿内。本殿と狐様二対。獅子頭。太平記で有名な桜井...

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動かない動物園 ・ 旧奥谷旅館 (外ヶ浜町三厩)

龍飛へ。関連記事:『階段国道の坂...

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玉川弁財天 (羽田水神社 / 東京都大田区)

多摩川左岸の堤防前に鎮座。羽田辨財天、要島辨財天、浦守辨財天とも称されていました。元は要島に鎮座しており、海上守護神として江戸商家や廻船問屋の信仰を集めていましたが、昭和20年に水神社があった現在地に移されました。同羽田地区にある龍王院(真言宗智山派医王山)が別当寺となっているようです。旧穴守稲荷神社大鳥居前には新しいですけど辨天橋という名の橋が残されています。『旧穴守稲荷神社大鳥居・弁天橋(東京都...

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竹森稲荷神社 (野辺地町古明前)

由緒等は不明です。野辺地町史の資料や年表には立花稲荷大明神、白峰神社、豊栄稲荷堂、末広稲荷神社、赤平稲荷神社など色々と出てくるのですが、土地勘もない上に、手元の資料が乏しく詳細がわかりません。やはり南部の資料は盛岡の図書館などに行った方がわかりそうですね。さすがに行く気はしないのですが。ちなみに『北奥道中図部分』(江戸時代)には木明・古明・明前・蟹田・有戸に神社が見えません。地図には竹森稲荷神社とあ...

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哘神社 (七戸町)

参道両脇には直線状に綺麗に木が立っています。原始的な鳥居がいい感じ。由緒はわかりませんでした。哘地区の産土神でしょうね。このクラスになると文献を探すより、地元の方に聞いた方が早いのですが、第一村人も発見できませんでした。内陣。シンプルな造りで何を祀っているのかもわかりませんでした。神社の向かいにいた…狛犬さん(笑)おとなしくて可愛かったです。ブログ村ランキング参加中

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椿山伝説 (平内町)

椿山伝説…『この椿山にははかなくも美しい伝説がのこされている。その昔、越前商人・横峰嘉平という人が、船で東田沢に交易に来て、いつしか村の娘・お玉と契りの末は夫婦になろうと親しんでいた。嘉平は商用のため一時越前の国に帰らなければならなくなり、お玉は京の女がつけている椿の油が欲しい、今度来るときは、その実を持ってきてください。絞って塗りたいと名残りを惜しみ泣いて別れた。お玉は嘉平を待ちつづけたが、約束の...

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椿神社 (平内町)

平内町東田沢横峰。椿山海水浴場、椿山キャンプ場付近に鎮座。天保郷帳には下田沢村と見えます。青森にも田沢村があったために、東部に位置する当地は東田沢に改称。文化年間に異国船の渡来に備えて臨時の番所が設置されており、足軽鉄砲隊が編成されて警備に当たっていました。文治の初め頃(1185年頃)、椿山にまつわる伝説の祠があり、天正年間(1573-1593)は椿崎大明神と称していました。明暦年中(1655-16...

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幸畑熊野宮 (青森市)

幸畑熊野宮。社号標紀年銘は昭和9年3月31日。御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命。かつての桑畑村で享保11年(1726)頃に幸畑村に改称(境内由緒では宝暦年間)。熊野宮の創建は不詳。寛永8年(1631)に村中安全のため再建。当初は新山宮とも熊野大権現とも称しており、貞享元年の神社書上帳によりますと、新山権現宮50間に30間(五反歩)、御宮一間四方、別当和泉太夫とあります。貞享4年検地水帳によりますと熊野...

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合浦稲荷神社 (青森市)

合浦公園正面入口に社号標(大典記念・昭和3年11月10日)があります。境内は合浦公園の一角にあり、住所は青森市合浦となりますが、合浦稲荷神社ではなく、浪打稲荷神社と呼んでいる方も多いようです。社殿内の提灯には合浦稲荷神社とありました。一方で、造道稲荷神社として紹介している文献も多く、また、諏訪神社の兼務社となっており、諏訪神社HPでは合浦稲荷神社として紹介されています。ややこしや~ややこしや~。現在...

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