神楽坂の坂上南側に鎮座。本尊は十界大曼荼羅。
開基日惺は池上本門寺12代で、関白二条昭実の猶子。徳川家康より天下安全の祈祷の命を受けての創建。
寺伝によりますと文禄4年(1595)麹町に起立したとしますが、はじめ馬喰町の追廻馬場の北西側にあり、寛文10年(1670)に焼失して麹町に移ったともいわれます。
日悟の代に水戸光圀(黄門様)の帰依を得て、延宝2年(1674)本堂や鎮守の毘沙門堂を再建。
狛犬ではなく石虎(寅毘沙・嘉永元年(1848)奉納)。東京大空襲により一部破損。
享保12年(1727)にも焼失し、麹町善国寺谷通西側の寺地は北寄りに移転しますが、この新境内も寛政4年(1792)に麻布よりの出火で類焼し、境内地は火除地とされたことから神楽坂へ移転。
境内には毘沙門堂・出世稲荷社が祀られています。毘沙門堂に祀られる毘沙門天木像は、最澄作で加藤清正の守本尊であったと云われ、はじめ麹町の長谷川氏の屋敷に勧請され、数年後に夢想があって善国寺へ移されたとも、土中より出現して霊験が著しかったとも伝わります。
毘沙門天の縁日である寅と午の日には多くの参詣者が訪れたそうです。東都歳事記によりますと、芝金杉正伝寺と並んで江戸で最も参詣客の多い毘沙門天だったそう。東京の縁日に露店などが出るようになっとのは当院の境内が発祥地とされています。
現在の本堂・毘沙門堂は昭和46年に完成。