弘前市大沢堂ケ平。堂ヶ平桂清水付近は鎌倉時代初期、この地方に大きな勢力を誇った熊野系修験の福王寺跡とされているところで、藩政期には金光山市応寺が置かれ一大修験場として栄えたと伝えられており、今も当時を偲ぶ毘沙門天・不動明王・観音菩薩を祀る堂社及び併祀されていた弁財天の祠が残されています。
燈明杉…『堂ケ平毘沙門堂一帯は古来修験道の館であったといわれ、この杉は毘沙門堂の南にある。根周13.5m、幹周6.6m、樹高約33mあり、樹齢は約700年と推定されている。名称の由来は、かつて毎年年4回、ほぼ同時期に天よりこの杉に燈明が降り、光を放ったという言い伝えによるものである。またその燈明の具合により、作物の豊凶や家内の吉凶を占ったと伝えられている。』
大山祇神社(山ノ神)の鳥居をくぐって、しばらく山道を登って行きます。正面に大山祇神社見えたら、そこから右へ道へ続いており、更に登ります。
一際大きい巨木が燈明杉。
燈明杉の横にも山ノ神の小祠がありますし、案内板もあるのですぐにわかると思います。
山ノ神の小祠。
燈明杉(県指定天然記念物・平成5年4月16日指定)…『この杉がある堂ヶ平一帯は、津軽地方における修験道の中でも古い歴史をもつところである。いつからか定まった時期に天からこの杉に燈明がおり、光を放ったことから、燈明杉と呼ばれ崇められ、その燈明の具合により作物の豊凶などを占ったと伝えられている。また昭和30年代までは「かんかけ(鍵掛)」の風習も見られた。樹齢は約700年と推定されるが、樹幹の樹皮にはつやがあり、樹勢はなお盛んで樹姿も整然としている。根周13.5m、幹周6.6m、樹高約33mで、市内でも樹齢、樹高ともに巖鬼山の大杉2本に次ぐ巨木である。平成22年12月弘前市教育委員会・管理者大沢町会』
鍵掛はY字に折った小枝を霊木に投げ掛けて、引っかかるか否かで占う風習で(引っかかれば念願成就)、ほぼ全国に見られたといいます。確かに燈明杉は鍵掛占いに向いている感じがしますが、今では県指定天然記念物なので木の枝を投げつけるのはちょっと気が引けますね。
ちなみに『菅江真澄遊覧記』の「奥の浦うら」(P51)には、「(前略)小さい祠がふたつあるのは、ほんたの神(誉田別命、八幡社)、やふねとようけひめ(八船豊受姫)を祭るという。二つの鳥居に木の枝をかぎにしてうちかけてあるのは、懸想するひとの願いであるという。それでここを神掛といい、また鍵懸ともかくのであろうか。」とあり、注釈によりますとこの「鍵懸」について「木の枝を鍵状にしたものを鳥居や神木などに投げあげて、うまくかかると願望がかなうという俗信は奥羽地方にあり、神占として行なわれていた。」と説明があります。
また、柳田国男の『こども風土記』では、「東北地方では一般に、峠路の辻や入口にある大木の高い枝に、鉤になった小枝を下から投げあげて引っ掛かるかどうかを試みる占いがあって、時々は無数にその小枝の掛かっている木を見かけるが、それを鉤掛けもしくはカンカケといっている。讃岐の小豆島の寒霞渓もそれらしいからもとはこの方面にも同じ風習があったかと思われる。今日では小石を石の鳥居の上に乗せてみようとし、または沓掛といって、馬の沓や古草鞋を投げ上げるようにもなっており、こどもや若い者の慰みくらいにしか考えられておるまいが、かつてはまじめにある旅行の成功するか否かを、鉤によってたしかめてみるという信仰があったのである。」とあります。