かつての法量村。奥入瀬川の中流にあたる法量地区は奥入瀬川の河岸段丘であり、縄文土器を伴ったいくつかの縄文遺跡が発見されている場所です(中里遺跡)。元来奥瀬領(五戸通)に属し、七戸通に替ったことにより五戸通と七戸通との間の管轄上・生活上の諸問題を抱えることになり、文化年間には入会山をめぐる出入や蔦湯の湯守に関する争論が起きています。
両脇が畑の参道。
御祭神は高おかみ神。水神・龍神。
『水神竜神 十和田信仰』(小館衷三)にも掲載されている神社です。法量地区の産土神。
村人は当神社を竜神様といいます。昔は雨乞いをしたそうです。
宝永5年(1708)6月創建。
明治6年に奥瀬村(現十和田市奥瀬)の新羅神社に合祀されるも明治8年2月復社。明治9年12月6日無格社、昭和11年9月10日村社。
拝殿の蟇股
頭貫や木鼻もいい感じの彫刻。
海老虹梁。
手挟も立派ですね。
拝殿向拝下。「法量神社年間3代行事。春3月10日午后2時。秋9月10日午后。冬12月10日午后2時」とありました。
神額も立派。
社殿内。
本殿覆屋。
社殿横の末社。住吉大明神神社。
願主上ノ山家、昭和16年9月10日法量常吉・平成14年9月8日法量繁雄。
水が湧いている場所がありました。水の神は明神様といい、上記の住吉大明神はこの湧水に祀られたものかも知れません。占場でもあります。
手水石(大正15年旧7月1日・和田文次郎)。
狛犬一対(昭和11年旧6月15日)。
石灯篭一対(昭和9年旧10月1日)。
三社託宣碑(大正8年旧1月5日)と二十三夜塔。
同境内に鎮座する薬師神社。
金精様(コーヘンサマ)・子安様(コヤスサマ)。昔はイチョウの木の根本の水溜まりで占いをしたそう。
石製の男根(金精様)と女陰(子安様)です。中里遺跡の石かもよ?
参道途中。法量発電所(写真右奥)より放水された水を取水して、三本木幹線用水路へ引水。左側の水路は予備取水口からの導水路。