本丸未申櫓台出土の梵字石の紹介。
元禄7年(1694)に石垣を修理した際、不動明王の梵字を刻んだ石が出土したという記録が、当時の藩庁日記に残されているそうです。この石は現在、弘前市内の最勝院に保存されていますが、境内の隅にひっそりと置かれているため、意外に誰も気付きません。
慶長16年(1611)鷹岡城完成。築城当初の天守は五層であったといわれ、本丸の南西隅に位置していましたが、寛永4年(1627)の落雷により焼失したと伝わっています。この頃の逸話として、国上寺にある不動明王(別名「汗かき不動」※汗をかくと不吉な事が起こるとされていました)がびっしょりと汗をかいたため、住職が藩主津軽信枚にこのことを伝え、最近領内で地震や災害ばかりおきていたので心中穏やかでなかった津軽信枚は急いで国上寺の不動明王へお参りに向かって留守にしている間、天守が落雷で焼け落ちたといいます。
元禄7年(1694)5月に幕府から石垣築造の許可を得た弘前藩は、同年7月に起工式である御鍬初を開催。9月より南西隅にある未申櫓台(旧天守台)から工事を始めます。本丸東面の石垣は築城の時点では築きかけの状態でしたが、元禄8年から石垣の積み足しが開始されています。元禄8年(1695)に未申櫓台石垣完成。その際に修理中の石垣内から不動明王の梵字を刻んだ石が発見されました。元禄12年に本丸東面石垣完成。
『弘前城石垣改修砌出土之不動明王梵字石・(カンマーン)之梵文種字也。維持平成廿八年旧六月十三日雨除屋根建立畢。金剛山最勝院第卅八世法印公彰代』