駒留八幡神社 (世田谷区上馬)
環七から少し入った路地沿いに鎮座します。「上馬の駒留八幡神社」としてせたがや百景に選定。境内のクロマツは世田谷区名木百選に選定。鎌倉時代後期にこの地の領主であった北条左近太郎入道成願の夢の中に現れた八幡様より「祀る場所は愛馬に聞け」とのお告げがあり、愛馬の留まったところに崇敬する八幡宮を造営。地名の由来もここからきているそう。程近い場所に北条左近太郎入道成願開基(分保元年・1317)の八幡山宗円寺(...
View Article天満宮梅まつり (弘前)
弘前市の春といったら…そう!弘前天満宮梅まつりだよね!社務所前ではお茶や和菓子をいただけますし!訪れたのは4月22日だったかな。私の記憶に間違いがなければ弘前さくらまつり開会式の翌日。土塁。関連記事『弘前天満宮 (弘前市西茂森)』『天満宮 (シダレザクラ・弘前市)』『常源寺坂 (弘前市)』『歴史的土塁を歩く~弘前城堀跡...
View Article釈迦内神明社 (母衣飾館跡)
大館市の釈迦内館に鎮座。御祭神は天照大御神、唐糸霊神。秋田県神社庁によりますと…『現神明社所在地は、明治の神仏分離以前は釈迦堂のあった土地で、土地に残されている「初七日山釈迦堂略縁起」によれば、神社の草創を鎌倉時代に求めることができる。執権、北条時頼が剃髪後、民情視察の為、廻国の途次、津軽藤崎に来た時、鎌倉に残して来た愛妾、唐糸の姿を見かける。唐糸は無実の罪で流されて来ていたのであった。唐糸は己の姿...
View Article旧東奥義塾外人教師館
弘前市下白銀町(追手門広場内)。木造2階建寄棟屋根亜鉛鉄板葺。青森県重宝に指定(平成5年1月)。明治36年、弘前市立東奥義塾(現東奥義塾高等学校)に招かれていた英語教師の宿舎として建設。昭和62年の同校移転時に弘前市に寄贈。館内は下足で畳敷き部屋も配置されているなどの日本様式が見られますが、屋根はトラス構造、白色の下見板壁と窓枠・付柱・軒や胴の幕板のオリーブグリーンとのコントラストに煉瓦積みの基礎や...
View Articleアレキサンダー夫人の墓
アレキサンダー(1867.7.20-1899.1.19)。カナダ生。前名メリー・クリスチン・ブウルム(ブルーム)。明治26年にR.Pアレキサンダーと結婚し、同時に来日して青山学院にて伝道に従事。明治30年弘前教会伝道師として夫妻で来弘。翌年本県初の幼稚園を設立(名称は子守学校で宣教師館内に開設)。翌年1月宣教師館の火災にて焼死(伊東重が検死※外国人を初めて検死)。その死を記念して同年に若葉幼稚園(弘...
View Article弘前城本丸未申櫓台出土の梵字石
本丸未申櫓台出土の梵字石の紹介。元禄7年(1694)に石垣を修理した際、不動明王の梵字を刻んだ石が出土したという記録が、当時の藩庁日記に残されているそうです。この石は現在、弘前市内の最勝院に保存されていますが、境内の隅にひっそりと置かれているため、意外に誰も気付きません。慶長16年(1611)鷹岡城完成。築城当初の天守は五層であったといわれ、本丸の南西隅に位置していましたが、寛永4年(1627)の落...
View Article耕春山宗徳寺 (弘前市)
宗徳寺の由緒や、石田三成次男の石田重成(杉山源吾)の墓(豊臣成範)などについては以前の記事を参照ください。以前の記事『太平山 長勝寺 vol.1 ・ 耕春山 宗徳寺 (弘前市)』関連記事『杉山屋敷跡...
View Article金刀比羅宮 (東京都港区)
東京都港区虎ノ門1丁目。地下鉄銀座線虎ノ門駅から地上に出て、桜田通りを南へ歩くと琴平タワーという高層ビルがあります。この虎ノ門琴平タワーはその名の通り金刀比羅宮の敷地内にあるようです。ビルの1階部分を通り抜けて境内へ。万治3年(1660)、讃岐国丸亀藩主京極高和が、藩領内の象頭山に鎮座する金刀比羅宮(本宮)の御分霊を、当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、延宝7年(1679)、京極高豊の代に現在の虎...
View Article禅林街 (禅林三十三ヶ寺)
人のいない禅林街を散歩。弘前上空がこんな感じだった日です(写真はイメージ)。見ていましたが写真は撮っていません。茂森町から茂森町桝形を通り黒門へ向かいます。茂森町桝形前から長勝寺構史跡指定範囲です。茂森町桝形付近には歩兵第三十一聯隊将校集会所や茂森会館西地区団第一分団消防屯所、土塁があります。途中右へ行くと天満宮です。天満宮前常源寺坂の坂上。天満宮及び天満宮参道や常源寺坂も長勝寺構史跡指定範囲。黒門...
View Article西宮戒神社 (米沢市)
山形県米沢市中央5丁目。粡町西宮戒神社。戎像(3.5m。粡町西宮戒神社遷座50周年記念として粡町町内議員の方々より寄贈)。旧粡町(あらまち)…『伊達時代は白子神社門前の町であった。慶長6年(1601)上杉景勝の時代直江兼続の城市改革によって現在の地に移り米穀の集散地として城下随一の繁華を呈した。』粡町の由来碑…『米沢が出羽國府の支配にあって「おいたみ」と呼ばれ、原野に郷人らが散在して住んでいた頃の和...
View Article最勝院の石碑等 (弘前)
出間館的写真からスタート。何度も紹介しているので最勝院の由緒等詳細は以前の記事なども参照ください。今回は石碑・記念碑メイン。仁王門前のエドヒガン(保存樹木・平成9年6月23日指定)。『エドヒガンは、桜の代表的な品種であるソメイヨシノの片親で、シダレザクラはエドヒガンが枝垂れたものであり、共に長生きする桜である。弘前市内には藩政時代に導入されたが、当時のもので残っているのはこの桜だけである。推定樹齢2...
View Article忘れじの塔下煎餅 (弘前市)
正式な店名は三浦煎餅店。通称「名物塔下煎餅」。理由はもちろん最勝院五重塔の下に店舗からあるから。閉店当時は2代目で創業90年弱であったと思います。店の中では昔ながらの製法で1枚1枚炭火で丁寧に煎餅を焼いています。種類も豊富ですが、1枚から買える上に30円から80円ほどの値段なので迷いません。いや、むしろ調子に乗って何枚も買ってしまう…。その味は懐かしながらも斬新で味わい深く、外観はシンプルながらも個...
View Article忘れじのとんとん亭 (藤崎町)
南津軽郡藤崎町常盤富田。メニューが豊富でしかも安いので重宝するお店でした。ミニ丼各種(250円)などもあり、例えば中華そばとミニカツ丼をセットにしても750円。更に麺を2倍(2玉)に増量しても900円、更に半ライスを追加してようやく1000円です。嬉しいですよね。他にも鍋焼きうどん&ミニ焼き肉(950円)、月見うどん&タンタン麺(950円)、冷やしぶっかけそば&焼きそば太麺(1000円)…1000円...
View Article芝大神宮 (東京都港区)
東京都港区芝大門。東京タワーを背景にそびえる高さ約12.5mの大鳥居。社号標(神宮大宮司二條弼基書)。ちなみに参道入口にも同じ社号標があります。御神燈一対(御大禮記念の為修復・大正5年11月)。芝大神宮の文化財…『社伝によれば平安時代の中頃(寛弘2年・1005年)に伊勢の内外両宮の御分霊をまつり鎮座されたといわれる区内有数の古社である。毎年9月中旬には「だらだら祭」とよばれる祭礼がおこなわれ、江戸時...
View Article清藤氏書院庭園 ・ 盛美神社
清藤氏書院庭園(盛秀園)へ。清藤家本邸庭園・清藤氏書院庭園・盛秀園…『一.史跡名勝国指定文化財(文部省告示第140号)。一.様式:平庭式、枯山水、観賞式。一.面積:593㎡(約180坪)。清藤家本邸庭園は、書院の南面にある平庭枯山水である。東南隅に滝石組があり、枯池の岸は低く平らな石組をめぐらす。西方に蹲踞があり、飛石を配し、奥塀際に大石を点在させる。江戸時代末期の作庭と考えられ、津軽地方に伝承され...
View Article悟真寺 (三戸町)
浄土宗終南山光明院悟真寺。奥州南部糠部二十五番札所。聖観音。「終南山のぼりてみれば悟真寺の佛を拝む身こそ安けれ」御本尊は阿弥陀如来。寛永4年創建。八日町南側裏手馬喰町。浄土宗大泉寺末、光明院悟真寺の開山は、鉄堂和尚で宝永5年8月18日寂と言われています。本堂に安置している阿弥陀如来像は、寺伝によりますと信州善光寺、四天堂建立の際に作られた尊像であると言われています。悟真寺は享保年間に八日町の大火に遭...
View Article古神明社 (大館市)
私の持っている地図では「古神神社」とありました。これはたぶん「古神明社」(上神明社)です。大館神明社が元々小館花(現泉町)にあり、延宝3年に現在地に移っていますが、元のこの場所には引き続き古神明社として祀られているというわけです。大館神明社のHPにも『「明治神社誌料」に「当時の鎮座地は大館町字小館花道上なる無格社神明社の在る所なりき」とありますのは、いまの新地の古神明社であります。二井田・一関家の「...
View Article諏訪神社 (田子町)
鳥居の横にひっそりとあった追分石。下部はやや埋もれており、更に苔が生していて読み取れず。しばらく歩くと右手に鳥居が見えます。鳥居。参道には幹周4m前後の杉の巨木(田子町指定天然記念物)が並びます。参道石段。参道脇には祠や何らかの石がいくつかありましたが、草木が鬱蒼としていて近寄れませんでした…っていうより雨上がりで草木が濡れていたので近寄りませんでした。諏訪神社の鎮座地は田子町大字原字諏訪ノ平。御祭...
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