私の持っている地図では「古神神社」とありました。これはたぶん「古神明社」(上神明社)です。大館神明社が元々小館花(現泉町)にあり、延宝3年に現在地に移っていますが、元のこの場所には引き続き古神明社として祀られているというわけです。
大館神明社のHPにも『「明治神社誌料」に「当時の鎮座地は大館町字小館花道上なる無格社神明社の在る所なりき」とありますのは、いまの新地の古神明社であります。二井田・一関家の「郷村史略」に、「社地、伊勢堂二社」とあり、「上神明堂(古神明社)は古社也、大館・小館(小館花)両処の産土神也」とありますが、神明社はもともと創建期から新地(泉町)に鎮座しており、現在地に遷った後も古神明社あるいは上神明社と称して変わることなく祀られておったのであります。慶長7年(1602年)5月、佐竹義宣侯が秋田にご遷封になり、その70余年後の廷宝3年(1675年)に神明社は現在地に遷されました。』とありました。
御祭神は天照皇大御神。
拝殿。
拝殿神額。
本殿覆屋。
狛犬一対(昭和30年10月吉日)。
石灯篭一対(昭和7年5月21日)。
御神馬堂。
御神馬。
末社。何かはわからず。
末社。
馬頭観音像に見えるけど…わからず。
廿三夜塔(明治42年)。
竹村毅雄筆塚(裏面碑文)…『竹村毅雄は大館市乃人幼少より書を能くし、浄応寺無等上人に私淑し、その書風を習い、上人没後の門人を称す。昭和6年6月29日没62諸家委嘱。乃襖屏風等にその書蹟少なからざるも度重なる火災により焼失し、神明社三社に、廿三夜の刻字外を残せるのみ。余もまたその筆墨を借りたるも火災にて焼失せり。依って今その筆塚を建て故人の書蹟を偲びつつ其責を塞く。遺族竹村久毅。平成元年6月29日。門人竹村幸雄』