鳥居の横にひっそりとあった追分石。下部はやや埋もれており、更に苔が生していて読み取れず。
しばらく歩くと右手に鳥居が見えます。
鳥居。
参道には幹周4m前後の杉の巨木(田子町指定天然記念物)が並びます。
参道石段。
参道脇には祠や何らかの石がいくつかありましたが、草木が鬱蒼としていて近寄れませんでした…っていうより雨上がりで草木が濡れていたので近寄りませんでした。
諏訪神社の鎮座地は田子町大字原字諏訪ノ平。御祭神は武御名方命。例祭日は8月27。旧暦7月27日。
かつての原村で、三戸通神社仏閣地名書上帳では地内に諏訪神社が見えます。雑書の正保3年9月27日の条には田子原村とあります。
慶長の頃、盛岡藩主の命を受けて、原500石の地を領有した工藤氏が産土神・武神・鎮守の大神として創立し、尊信したのが起源と伝えます。その後、工藤氏に代り原500石の氏子崇敬者が神社の経営発展に当り尊信して現在に至ります。
諏訪神社に保管されている町指定文化財の「北地吟哦十首献額」は、密行した津軽について詠んだ漢詩。幕末に盛岡藩家老・東中務に仕えていた工藤祐知が、中務の命を受けて津軽に潜入し、その状況を十篇の漢詩にまとめ一枚板に墨書して献額。祐知が密行した津軽各地の風物や、所感を詠じられています。同じく町指定文化財の「三十六歌仙彩色画像」は、嘉永5年(1852)旧7月27日に、当時の原館の主であった工藤祐知(原数馬)が奉納したもの。杉の板に彩色した三十六歌仙の姿が描かれています。現在は29枚が諏訪神社に保管されているそうです。
狛犬一対(昭和15年)。
石灯籠一対。
手水石。
諏訪神社改築記念碑(平成9年旧7月27日竣工・寄付金額合計壱千八拾弐万五千円)。
石祠。棟札があるも何かはわからず。
子産観音堂。
堂宇内。
子産観音。
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