羽田総鎮守・羽田神社は、羽田の氏神様として羽田全域から現羽田空港まで広く氏子を有します。殊に航空会社各社の崇敬の念も篤く、正月から年間を通じて運航安全・航空安全祈願の参詣があります。また、文久元年(1861)に疱瘡(天然痘)が蔓延した際、将軍徳川家定が病気平癒祈願に参詣し治癒した故事により、病気平癒を祈願する参拝客も多くいます。
御祭神は須佐之男命、稲田姫命で、縁結びや勝負事の御神徳でも知られています。
約800年前の鎌倉時代に羽田浦の水軍で領主だった行方与次郎が牛頭天王を祀った事を起源とします。今日でも羽田神社を「てんのうさん」と親しみを込めて呼ぶ人がいるのはその名残りです。
徳川時代には、徳川家、島津家、藤堂家などに厚く信仰されました。明治元年(1868)自性院境内に祀られていた牛頭天王社は八雲神社として独立し、明治40年に羽田神社と改称し現在に至ります。昭和63年5月新社殿が竣工、平成18年3月お塗り替え工事終了。
拝殿。
本殿。
本殿の下部。寄付者名がたくさん。
手水舎。
手水石。
牛頭天王にあやかって牛がいます。
『手水舎…羽田神社は800年前の鎌倉時代に羽田浦の水軍で領主であった行方与次郎が「牛頭天王」を祀ったのがその起こりです。手水舎には水の守護神である「龍」をよく見かけますが、当社は牛頭天王にあやかり「牛」を用いております。牛頭天王(スサノオノミコト)…信仰と病気平癒。牛頭天王はインドの祇園精舎の守護神で、神道の「スサノオノミコト」と同一視されます。昔、疫病や祟りを恐れた人々が悪いものを除ける神として牛頭天王(スサノオノミコト)を祀る信仰が広まりました。一説によると疫病は異国からのものと捉え、異国伝来の疫病神である牛頭天王を祀るようになったと考えられています。文久元年(1861年)に疱瘡(天然痘)が蔓延。時の将軍・徳川家定が牛頭天王社(現羽田神社)に病気平癒祈願に参詣し治癒した故事はその信仰の現れといえます。』
石灯篭一対(明治10年6月)。
狛犬一対。
灯篭一対(平成7年2月吉日・高岡市株式会社竹中製作所)。
天水桶一対(昭和37年7月吉日・丸榮鋳造所)。
社務所・古神札納所。
神楽殿。
神輿殿。
記『此の神輿殿及び殿内に奉安されてある大神輿は羽田に居住せる鈴木久藏・静枝氏夫妻及び鈴木源八郎・昭子氏夫妻父子が奉納されたものである。一.神輿殿の内部は完全防湿設備を施し、又、神輿の出し入れを円滑にするために特別な装置を備えた近代的、且、合理的な神輿殿である。一.神輿殿及び大神輿は宮師安田兼吉氏が八ヵ月の月日を費して謹製されたものであり、これが仕様は台の幅4尺、全高9尺5寸、屋根幅7尺7寸、重量500貫、縦棒の長さ25尺、横棒の長さ12尺あり東京屈指の大神輿である。一.中神輿は昭和20年4月従来の大神輿が戦災により焼失後、昭和42年7月羽田仲七町会より奉納されたものであり、爾来夏季例大祭には当神社の神輿として氏子内を巡行していた。このそれぞれの偉業を称え、永く後世に伝えるものである。昭和54年4月1日羽田神社』
石碑等。
復興記念碑。
八雲神社神明形御影石鳥居寄付者名碑。
石風石原巌翁碑(77才・昭和40年5月5日)。
石灯篭一対。
殉國之碑…『恒久の平和を祈念し明治以降の各戦歿者ならびに大東亜戦犠牲者慰霊のため有志の浄財を以てここに之を建立す。昭和36年5月3日羽田地区慰霊碑建設協賛会・羽田地区町会連合会』。
征清従軍旌功之碑。
『羽田神社 ~其之弐(大田区)』へ続く…